カタカムナの解読と同時にトートの話にも耳を傾け、 「私たちはアマ・オホ(間)の圧縮態ではないか?」 という思いを強くしている私です。
カタカムナ第37首も最後の一節です~ 野の神、草の神の御名の登場は何を意味しているのでしょうか?
6月だっつーのに、もう真夏だぜ~って 突如の梅雨明け~3連続猛暑日を過ごし 私の中で「猛暑から逃げず、がっぷりよつで向き合うぞ~」っとなった。
私が観てない間に「何か起きた?」とウォッチャー仲間に尋ねる時にどうぞ。 こうやって言うのかぁ~「何も見逃したくない」って気持ちがよく出ている。
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