
ずーっと気になっていた「ヘルレイザー」を見ることができた~
皆様はもうご覧になってますでしょうか?
驚くほどに「異世界側のモノのデザイン性が秀逸」でした~
- 地獄の門を開く立体パズル(ルマルシャンの箱)
- 魔導士(セノバイト)たちのビジュアル
- 快楽に魅入られた人間の姿
全てが芸術的センスやった~
昔の映画の「特殊メイク」「特殊美術」さんたちの技量に圧倒されたわ~
んでな、これらのデザインを見て一番強く想ったのは~
「私の大好きなサイレントヒルってこの映画の影響を強く受けてるんやないか⁉」ってことだったのです。
映画ヘル・レイザー(1987年)
ゲーム サイレントヒル (1作目 1999年)
調べてみると~マジでヘルレイザーの影響は受けているらしい。
そんでヘルレイザーの話に戻るんですけど。
魔導士たちの言葉により、「あ~そういうことか、本当だ」と思わされたものがあったのです。
人間が憧れる、目指す、夢見る、「極楽」=快楽の極み(快楽に満ちた楽園)って…その正体は「苦痛と表裏一体」のものであるってことなんすっ
苦痛を突き詰めていって、ひっくり返った形の「苦痛の極み」が快楽の正体かもそいれないんです。
魔導士(ピンヘッド)が自分たちのことをこう言ってた。
Explorers in the further regions of experience.
Demons to some, angels to others.
(我々は経験により感じる深層領域・苦痛と快楽の探求者であり、ある者にとっては悪魔であり、また別の者にとっては天使なのだ)
つまり、「究極の快楽を求める者が異世界の門を開けた時に現れる門番」というのは、悪魔であり同時に天使でもあるのです。
快楽を求める者にとって「極楽」は天国であり、その正体は「地獄と表裏一体の領域」なのです。
たぶん「魔導士」が門番をしている「異領域」ってのは「煉獄」になるかと思われますが、まさにシュタイナーが説く「煉獄」の在り様そのままなのです。
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快楽でも苦痛でも体験でも「求める者」は、それを外に探し求めている限り「永遠の枯渇」の中におり 満たされることはない。
永遠に満たされない状態に拘束され続ける、そして「煉獄」は永遠の入り口なのです。
心が何も求めない、何にも乱されない「安定・平安・平穏」を手に入れた時に真に神の領域が見えてくるのかもしれないですな。
ヘルレイザーが示していることって人間社会の真理を突いているのでは⁉
- 人間が思い描く「天使」も「悪魔」も表裏一体の同一のモノである
- 人間が求める「極楽」も「地獄」も表裏一体の同一のモノである
- 人間が求める「快楽」も人間が恐れる「苦痛」もその根は繋がっている
- 「(何かを)求める」人間は生きていても死んでからも満たされることなく 彷徨い続ける
この映画の本質って実は今の人間社会が「(善良な)神を信仰している」と見せかけて(洗脳されて)、実は壮大な「悪魔信仰」に陥っているって指摘なのかも。
義母の怪しい美しさと残忍さと 娘ちゃんの天然美と勇敢さの対比もいいよね。

