どうも恋したい41才の独身女のプロ独女みつまるです。
「40代独身未婚」っていうと
だいたいこの話の流れをこなすことに慣れてくる。
↓
「なんで結婚しないの?」
「どうして結婚しなかったの?」
↓
「理想が高いんでしょ」
「理想が高すぎるんでしょ」
↓
「ダメだよ~妥協もしなくちゃ」
にっこり笑って答えましょう。
声「そうですよね~☆」
※心の声「うるせーんだよ!人生を高く望んで何が悪い!」
でもね、高望みにも私なりにルールはあるのです。
今日は「高望みしすぎ」とか「妥協しろ」と周りに言われ
疲れたあなたにお届けする
「妥協しないで高く望んで攻めていこうぜ!」という提案です。
- 人生は最高でも望んだモノしか手に入らない
- 40代独身は恋愛・結婚相手に高望みと思われている
- 高望みすべき相手は自分自身
- 相手に望むものは自分も相手に提供できる範囲まで
- 「してほしい」ではなく「してあげたい」がサイン
- 自分の人生に高望みしましょう!
人生は最高でも望んだモノしか手に入らない
人生で手に入るモノって
結局は自分で望んだモノまでなんですよ。
もうね、大人だからわかるんですけど
神様とかが上から四六時中みててくれて
「お前は頑張っているからこれをやろう、これもやろう」
とかいうもんじゃないんですよね。
うん、神様ってそんなに暇でも親切でもないから。
ただ見守るのが仕事だから。
だから「欲しい」「手に入れる」と自分で自覚したものしか
手に入れられないわけですよ。
じゃあ、人生高望みすべきじゃん!
って思うんですよ。
ええ、ホントに。
ただね高望みすべきは「自分の人生」であって「自分」に対して望めって意味です。
ちょっとややこしいんですが
以下で説明していきますね。
40代独身は恋愛・結婚相手に高望みと思われている
40代独身の高望みの対象というのが
多くの人は「相手に対して」と思って見ているようです。
つまり「40代独身は異性(恋愛・結婚相手)に対して高望みしている」だって。
まー実際、「素敵だな~」って思う人と恋愛したいしね。
何歳だって、
恋愛相手・結婚を考える相手は
「素敵な人がいいに決まってるだろう」
と思うんですけど、違うの?!
まえまえから思っているんですけど
「妥協して」相手を選ぶってめちゃくちゃ失礼じゃないですか?
相手に超失礼じゃないですか?
高望みすべき相手は自分自身
高望み向ける方向は「自分」にすべきと41才プロ独女は自覚しております。
自分がコントロールできるのは自分だけですから、
他人に期待して期待通りにしようとしても難しいし効率が悪いんですよね。
だから恋愛でも結婚でも人生でもなんでも
どんどん高望みしていいと思うんですが
その望みに応えるのは自分であるべきだと思っています。
相手に望むものは自分も相手に提供できる範囲まで
世の中って大きくひいてみると
自然とバランスをとるようにできてるんですよ。
不思議ですけど、自然の摂理なんでしょうね。
だからちょうどいいバランスの人同士が惹きあうんでしょうね。
つまり
「相手に望むものは自分も相手に提供できる範囲まで」は望んでOKでしょ。
- 相手に年収1000万円望むなら自分も年収1000万円ある
- 相手に優しさ求めるなら自分も優しさを提供できる
- 相手に誠実さを求めるなら自分も相手に誠実でいられる
- 相手に美しさを求めるなら自分も同等に美しいこと
- 相手にお金を求めるなら自分も相手にお金を提供できる
- 相手に自分の両親を大事にしてほしいなら、自分も相手の両親を大事にする
こんな感じで
相手に望むことは自分もできる状態ならOK。
相手に望む時って
「自分に不足しいている」モノが多いんですよね。
でも実際は相手じゃなくて自分がそうありたい気持ちが基になってますから。
「してほしい」ではなく「してあげたい」がサイン
大人の恋愛のはじまりは
「〇〇してほしい」という相手に望むばかりの利己主義な恋愛ではなく
「〇〇してあげたい」という相手にどう貢献できるか?の気持ちから
にしたいと思う私です。
以前の彼氏の気持ちが常に自分に向いていることを望んでいた
いい歳して幼い恋愛からちょっと成長しました。
今は、もっとお互い自由でのびのびしながらも
会いたくなったり一緒にいてリラックスできる関係がいいと思ってる。
「~してあげたい」も感謝の言葉さえ求めない見返りを一切求めない
自分の心が常に自分で満たせているからこその余裕からの貢献が理想です。
自分の人生に高望みしましょう!
せっかく40代というところまで頑張ってきて
そして独身という自由な環境ですから
自分の人生にどんどん高望みしましょう!
恋愛は人生の幹ではなく枝ですから。
まずは幹の部分をしっかりさせて
枝を思いっきり伸ばして葉をたくさんつけられるように
しておきましょう(^^)
妥協ってちゃんと心から納得するところまで
変換しないと「もしあの時・・・」という後悔になりますよ。
妥協ではなくいろいろ視点を変えてみて
ポジティブに見えてきたらそれはそれでいい選択になるんでしょうね。
要は自分自身が納得した選択なら後悔しないはず。
つづく