日本でもかなり誤解されている「真理の道」である合気道。。。
私も思いっきり誤解しておりました。
”合気道=攻撃してくる相手の力を利用し倒す武術”だと
長い間…誤認識しておりました。
実際の合気道は「神道」に近い、身心共に真理に触れる(到達する)為の道を説くものだったのです。心身が持つ「真の力」を引き出し活用する術が説かれている。
詳しく知りたい方はこちらを読んでみてね~
合気道=魂(こん)のひれぶり
なんだそうで、この状態・境地から自然と技や動きが発せられる…それが合気道だというわけでしょうな。
植芝盛平氏は合気の動きを「神楽舞」で弟子たちに見せていたそうですが、盛平の神楽舞は日本の祭事に見る「物語」的な演劇舞踊の要素の強いものではなく、「神遊び」や「神がかり」に近いモノだったようです。
※ここ重要なポイントです
つまりですな、「神人合一の境地」で自然と体が動く状態で「舞うように見える」動きが盛平の神楽舞であり、合気の動きってことなんですわ。
無駄な力や意識を全て排除し、神(この世界の根源・アマノミナカヌシ)に身を委ねるという領域なんだと思われます。
無駄な力や思考を排除すると「秘められし真の力がでる」ってのは古武術家のこちらの先生も語っているぜ~
⇓
「魂のひれぶり」って何か?
別の言い方でいうと「念彼観音力」(自分の中にねむっている他人との共振力)なのだそうです(ほほ~)
他人っていうか「自他の他」であり、「自他のむすび=全一の境地」を指してるんでしょうな。
「ひれぶり」=「むすび(産巣日神の神霊力)」なんだと思われますが、植芝盛平は合気の動き・技の発動には『四つの全身各機関に対して、四つの気塊のひれぶりが必要である』と語っているそうです。
四つの気の塊ってのは、どうやら「四つの身体」をさすそうで、気体・流体・柔体・剛体のことらしい。
神楽舞は主として気体から浄化をして、剛体に至る方法であり、それらすべての働きを活性化させるものであった。
神楽舞で身心が浄化(禊)されるわけっすな。
邪魔なモノを全て排除して、「無の境地」とか「無心・無意識の領域」に己を持っていくための舞なのかも。「自然と動かされる動きに没頭する」そんな感じじゃないかと。
とは言っても実際にどんな動きや舞いなのか気になりますよね。
川面凡児に関する本を読んでみて、私なりに考えた事なんでけど
⇓
「魂のひれぶり」=むすび(産巣日神の力)=「魂のヒ霊振り」
故に「魂とヒ霊(直日霊)を振動(ヒビキ)で結ぶ(ムスビ)」ってことかと。
となれば、川面凡児が行なっていた山修業が非常に参考になるんじゃないか、と。
特に極寒の中行なわれる「滝行」による、身体の震えが非常に重要な「魂のひれぶり」の鍵になるんじゃないかなと。
自分が沈黙(集中)した中で、寒さから勝手に体が振動しだすんですから…これって身心の内奥からのヒビキの顕われなんじゃないかしら。
どちらにしても三人の達人がどうやら同じ境地(心身の状態)を示してくれているってことがわかってきた。そこに「真の力」に至る道があるわけっすな。