なるほどぉー
何かを探求する時「完全」を目指すと、幻想の中で迷子になるのかぁ
『「完全」という観念が、そもそも完全そのものではないから』だって
この世界そのものが「変化する幻想世界」だから
この世界に「完全」は無い。
⇓
故に
この世のものが「完全」を知ることは
不可能なのである
“それ”は在るより
詳しくは私の「禅」の参考書のこちらをどうぞ
変化する幻想世界において
「完全」は変化の終わり、停止を意味することになる。
だからそもそも「完全」はこの世界に無いらしい。
逆に考えれば「完全」は無なのかな??
この話は「真我を求める知的探求」について書かれた中にあるもので
知的探求事態を目的にすると
ただただ迷い続けるばかりになると警告してくれている。
私としては
「完全」という言葉も
「完全」という観念も
“完全そのものではない”
という部分に何かこう「そうか!」と
深く心動かされたのです。
何かを「やろう」と動き出すとき
完全も完璧も目指さなくていいのだ!
宝探しのように「たった一つの絶対的な正解」を求めなくていいのだ。
そもそも無いんだから。
心がすーっと軽くなった。
この世に「絶対」も「完全」もなく
それは個人個人が持つ観念であり幻想なんだから
他人の観念に土足で侵入して否定するなど蛮行だ。
色々なことを「そのまま」見られそうです。
それに自分のことも
「これが正解か?」と追い詰めるのをやめれそうです。
凝り固まった世界がほぐれていくのを感じます。
では、また~☆