自我(エゴ)から離脱する修行は進む
私たちの自我は他者を必要としている…
その理由は他者を通して自分を見るためなのかもしれない
このイライラ社会を生き抜くために
武士道からはじまり禅の精神修行に励む
BBAこと私です。
今の修羅の世を生き抜くためにおすすめの書
⇓
①新渡戸稲造の「武士道」
②西洋思想から「禅」の世界を覗く
自我(エゴ)からいつでも離れ
真の自分を見つめられるように
修業がすすんでおります。
他者こそ自分を見る鏡?!
私たちは自分の姿を見るのに鏡を使う。
メイクする時にも、朝の支度の時にも。
姿だけではなく
私たちは「自分を知るために鏡を見続けている」
のだというのです。
「自分らしさ」や「個人としての私」というのを
自分の中にある観念や信念、思い、感じたことなどで
自分が築き上げてきた自我(エゴ)が
「他者からどう見られているか?」で見つけ続けてると。
簡単に言えば
この積み上げてきた私の自我(エゴ)が
- どの程度周囲に認められているか?
- どのくらい評価されているか?
ということで自分の価値を自覚している。
曇った眼鏡で汚れた鏡を見ていないか?
私たちが世の中を見る時
自分の観念や信念が曇った眼鏡になるように
曇った眼鏡で見つめている鏡もまた
たくさんのゴミや塵がついているのだという。
鏡で見る顔は反射した光が映す私の影であり
左右が反転しているように
他者を鏡として自分を見ようとする場合も
「決して真実の私」を見ることはできない。
むしろ汚れた鏡で見たことで
「自分は汚れている」と思い込んでしまうのだ。
曇った鏡で自分を見ては
どんより沈んだ「ダメな自分」に見えてしまう。
だが本当にそうなのだろうか?
↑
この意識を持つことが
自分の中の絶対空間「まっ白な無空間」を得る鍵
鏡を見ずして自分を見ることからはじめよう
瞑想しようとするとき
何も考えないと自分の意識に命令するけど
考えが止められない自分を見つめる「私」を持つ
という話に触れましたが、まさにこれがステップ①
自分の中にどんな思考が湧いているかを見つめる「私」
これができるようになると
⇓
ステップ②目を閉じて自分の無のスペースに入る
この段階に進めるそうです。
自分を見つめ続けたその先にある
己の空・無のスペースに入る感覚を掴めると
「静寂が無限に広がっている」ことが実感できるそうです。
BBAはまだステップ1.5くらいです(--;)
でもステップ②までいくと
世の中を見る目がガラッと変わるようですぞ!
この話は次回に
では、また~☆