そういうことだったのか!!
「他者に敬意を」「他者を認める」これは礼儀としては理解していたけど
実際は敬意も認めるのも拒否したい輩もいるわけで…
そんな狭い心のBBAでもその真意をやっと理解することができました。
BBAがこのイライラ社会を生き抜くための
精神修行に用いている学びの書はこちら
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では修行の続きへ
自分の無・空スペースに入れるようになると
前回のおさらい&重要な部分
積み上げてきた自我(エゴ)を「自分らしさ」と勘違いし
他者からの評価を通してその自我(エゴ)の価値を「自分の価値」と
いう見方をやめて
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思考している自分、
ただそこにいる自分を見つめる「私」になり
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目を閉じて
自分の無・空のスペースに入る
ここまでいくと
飛躍的にみえる世界が変わるというのです!
その解説にはこう書いてあった。
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目の前の人の内側にある空・無を見つめられるようになる
目の前の人としたが
実際は「目の前のものすべて」だそうです。
目を閉じて自分の無・空スペースに入ることができるようになったら
目を開けて目の前のものの“形ではなく”、
その内側を見つめるようにする…
そうするとその内側にも自分と同じように「無・空」があることに気が付く。
無・空を見つめると
静寂が無限に広がっていると実感できるという…
ここまできて
やっと私は「他者を認める」ということの真意に気が付けたのです。
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私にも相手にも同じ「無・空」が広がっている
「同じ」という観念もいらないのかも
でも、根本的に私も相手も核である「ありのままの自分」は
同じなんだなぁと思えた時
理屈ではなく本心から相手を認めることができるんだなって
わかりました。
そういうことだったのか!
って思えた瞬間でした(^^)
全く自分と違う価値観だったり、思想だったりする人でも
生まれた時の「まったく観念」のない時は
同じ無・空の心だったんだな~
そして、それは今も同じなんだなぁとわかってきた。
更に修行が進むとすべての境界線が無くなるそうです
私はまだまだそこ域にはいけないけど(^^;)
相手の中に見える無・空も
実は私の無・空であると思えるようになると
自分の内外にこの無が満ちており
その無こそが「私」と思えるようになるそうです。
道のりはまだまだ果てしなく遠いようだ…
でも、ちょっとずつ理解を深めながら進んでいこうと思うBBAです。
では、また~☆