人の良心は「義と仁」からできている
そんな風に思うようになった日々是修行中の半出家BBA私です。
俗世間を愛し、酒を愛する、俗世間をサバイバル中です。
感情的で攻撃的な「〇〇モンスター」と呼ばれる人たちが増え
いじめやネットの悪口や攻撃など
拝金主義・差別主義の加速がそのまま日本社会のイライラ化加速へ
協力しあい認め合うことよりも「攻撃し合う」この精神戦国時代に
おすすめしたいのが「武士道」です。
「武士道」の精神修行のバイブルは
新渡戸稲造氏が書かれた「こちら」です。
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義・勇・ときまして
今日の「武士道の精神」は「仁」です。
義と仁が精神の心柱になりますので
非常に重要な心得です。
では、今日の修行に参りましょう。
仁とは何ぞや? 瞑想しながら考える
私は「思考を無にする瞑想」が苦手とうか、
どう頑張ってもできないので
「考えまくる瞑想」をすることにした。
集中して1つのことに思いを巡らすこで
結局は目の前の世界から思考の世界に入りこめるので
そう間違った瞑想方法でもないはず(^^)
「仁」と聞いても
はっきりいってドラマの「仁」と任侠映画のイメージしかない・・
仁義なき・・ツーてるのに
「仁義=893映画」の香り・・・
仁義なき戦い・・・からイメージすると
忠義とか忠誠心とかに近いのかなぁ「仁」
ドラマ「仁」からのイメージだと
「心を尽くす」って感じなんですよね。
「仁」は至高の徳
「武士道」を読むと
仁=「慈悲の心」にして王者の徳
と書かれている。
仁というのは
- 愛
- 寛容
- 他者への情愛
- 哀れみの心
こういったモノをすべて内包した「至高の徳」だという。
これがどうして「王者の徳」なのかと言えば
「民に愛され慕われてこそ真の王であり国家」だから。
それは「国家とは王の民への慈愛の気持ちからはじまるっ」てことだろう。
いま、拠って立つべき“日本の精神” 武士道 (PHP文庫)の中に
古いことわざとして
●英国王=悪魔の王 ●仏国王「ロバの王」 ●スペイン国王「人間の王」
の話が書かれていて解説が面白いので是非読んでみて欲しい。
また「仁は人なり」とあるように
仁は人の心の核であり
「仁無き者は人にあらず」となる。
他者への情愛や哀れみの心を失くしたら
「人で無し」⇒「人でなし」になってしまう。
武士道の仁は「慈悲」
仏教でいう慈悲は
- 菩薩が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと
- 慈という言葉は「友愛」
- 悲という言葉は「あわれみ、同情」
という意味があるそうです。
他人に友愛の情を持ち、友愛を示すと相手に楽を与える事ができ
他人の悲しみを自分の悲しみとして一緒に悲しむことで
相手の苦しみを取り除くことができるという。
更に武士道の「仁」は
「武士の情け」という言葉が
力あるの者の慈悲をさすように
自分よりも力なき者、弱き者に向ける慈しみを
特に大事にしているようです。
優しく柔和で母性のような徳である「仁」と
高潔で厳しい正義を追う父性的「義」の
両方が揃っていなくてはダメで、
どちらかにバランスが偏ってもダメなのです。
◆伊達政宗の言葉
「義に過ぎれば固くなる、仁に過ぎれば弱くなる」
義を重んじるだけでも、慈悲に溺れても人はダメになると説く。
武士道が説く「仁」の心の養い方
武士道は知識よりも行動を重んじただけあって
指導も具体的。
仁の精神・心を養うために
音楽や詩、絵、俳句などのに触れることを奨励していた。
他人の表現や作品に触れても、
自分で表現しても
その文学的要素が「仁」の心を養うというのだ。
なるほど、これなら現在でも実践しやすい。
今なら古今東西のあらゆる文化芸術に多く触れることが可能だもの。
鑑賞することで作り手の心に触れることも大いに自分の役にたっている。
もっとたくさん音楽聞いて、映画観て
本を読んで作り手の想いに触れていこうと思います。
義、勇、仁ときて
ここで柔軟で折れない心の基礎が
できてきましたね。
では、また~☆