武士道の教えを要約すると「良心に恥じない生き方をしろ」これだけ。
良心=仁義であり、要約するとこれだけなんだけど
興味をもって深く掘ってみると・・禅の世界に通じる壮大さです。
このイライラ社会を生き抜くために
柔らかく折れない心を装備するために
武士道を選んだのは
武士道が「知識よりも行動を重んじる」点にあります。
瞑想や偉人の考えに触れることで
自分の脳を書き換えるのではなく、
体を動かし、脳を動かし、心身ともに鍛えれば
おのずと他に影響されない常に平静な自分でいられるというのだ。
修業をする身からすると
具体的でありがたい。
ということで
では、実際にどんな教育が行なわれていたのか
武士たちの教育を見ていきましょう。
品格は人格~智・仁・勇による行動
武士・侍は本質的に行動の人であるため
知識ではなく知恵を重んじます。
知識を有益で実践的な行動に変換したものが知恵
知識を基に現状に良い変化を起こす行動をする=智
「 仁」について詳しくはこちら
「勇」について詳しくはこちら
そして武士道の教育で最も重んじられたのが「品格」
品格ある人格になるための教育という名の修行なのだ。
下品、卑怯、臆病が最も嫌われ軽蔑された。
品格ある人物が尊敬されたのです。
尊敬すべき人・・大事なポントを学んだ気がする
φ(..)メモメモ
人間を救うのは教養ではなく行動
武士道における「学問」はさほど重視されていなかった。
というと誤解を受けそうだけど
知識や教養はそれを知恵と行動にしないと意味がないとされたから。
学問が知識や教養で止まってしまうならさほど重要ではないということ。
知識や教養を活かし行動するならそれは「智」になり大事なこととみなされた。
知識や教養を自分のモノにできていないと無意味ってことかぁ。
変化を起こすのは「行動」でしかないと
わかっていたんですね(^^;)
私の武士道の教科書にこう書かれている。
イギリスの詩人が言ったように
サムライもこう信じていた。
「人間を救うのは教養ではない、
教養を正当化するものは人間である」
武士道:心技体の教育実践
では、具体的に
どうやって脳と体と心を鍛えるのか?
そのための実践項目がこちら
◆体の感覚を研ぎ澄ます
- 剣術
- 弓術
- 柔術
- 乗馬
- 槍術
体を鍛え、武術に長けるということだけではなく
感覚を鍛え、より繊細に自分の身体を整えコントロールできるように
これらの鍛錬に励んだようです。
柔術に至っては
力学や解剖学的知識の応用にまで及ぶのです。
すごいっ(^^;)
◆生き残るために戦略思考
●戦略戦術
己の鍛錬だけではなく
他を知り、場を読み、群集心理も理解しての
如何に犠牲を少なく勝ち抜くかを考えるのです。
孫氏の兵法にしても
武士道にしても
如何に血を流さずに勝利するかを重視している。
◆脳と心を鍛える
- 書道
- 道徳
- 文学
- 歴史
やはり「歴史」って重要なんですね。
尊敬できる人達が全員いう「歴史から学べ」と。
書道や文学は「心」を育てるとともに
芸術的感性を養う目的もあるようです。
書道は特に重んじられていて
「書体は人柄を表す」と信じられていたんです。
でも、確かに「字」ってその人の本質が出るかも。
◆全部に繋がるのこと
私がジャンルをざっと3つに分けましたが
実はどれもが全て心技体を鍛えることで繋がっています。
心技体が1つになる、
思い通りにならない社会や人生の中で
自分を思った通りに動かせる力を身に着ける。
全部に共通するのは「集中」と「呼吸」と「五感」ですかね。
何をやる時にも意識して取り組んでみます。
私は「日常を修行に」スタイルなので
日常の行動で実践していこっと。
感覚を研ぎ澄ますのは職人の修行に通じるものがありますね。
では、また~☆