プロ独女のライフハックブログ

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【独女のつぶやき】感情的攻撃クレーマーにより日本文化も社会も衰退していく~ある映画との出会い

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注意書きや「コンプライアンス」と叫ぶ声が溢れる世の中になって

息苦しさを感じていたけど、1980年のある日本映画を観たことで

『このままいくと日本が超つまらない国になりつつある』

という危機感がどんどん膨らんでいる私です。

 

 

 

クレームと謝罪と規制があふれる日本

 

少し前にも

アンパンマンのアンパンチが子供の教育によくない」

というような意見・発言がネットで論争をまねいていました。

 

大衆の目に触れるメディアやいろいろなところで

毎日クレームとそれに対する謝罪が起きている。

 

消防署員や公務員が就業時間中に

外で食事やコンビニで買い物することにも

苦情や文句を言う人もいる。

 

私は今のこうした日本の現状は

「高まるストレスと将来への不安」

が全体を飲み込んでいるからだと勝手に納得していました。

納得していると共に

「仕方がない」ような気がしていた。

 

偶然に2つのことが重なって

私はあることに気が付いたのです。

「ストレスと将来の不安のせいじゃないかも」

 

日本の映画やテレビが面白くなくなった理由

「ぼくらの時代」を日曜日の朝に観ていたら

中井貴一さんがこんなことを言っていた。

 

ヤクザの役で

これから人を殺しに行くというシーンを撮影している時のこと。

 

相手のいるビルに到着し

くわえていたタバコをその場に捨てたんですよ。

 

そしたら制作側の人から

「ポイ捨てはちょっと・・」とNGになった。

 

これから復讐で人を殺しにいくんですよ、

たばこの捨て方に気が向くわけないでしょ!

 

コンプライアンス的にちょっと・・」

ってのが本当に増えた。

 

メモとってみていたわけではないので

私のうろ覚えですが

内容的にはこんな感じでした。

 

つまり周囲の目や外圧を気にしすぎて

映画製作の現場でも「表現」が委縮しているというのです。

しかもチグハグに(^^;)

 

「人殺し」というストーリーはいいけど

その人殺しに向かう犯人がたばこのポイ捨てはダメという

何とも・・芯がない状態なのです。

 

そしてちょっと昔の撮影現場のことも話されていました。

今と比較するように。

 

この言葉が頭に残っている間に

偶然みた1980年のある日本映画で

私は「映画に殴られる」ような体験をしたのです。

そして気が付いた。

 

観客に媚びない映画がつくられていた時代

 今よりも映画やドラマに細かな規制がなかった時代。

 

映画が芸術や文学、職人チームの創作物であった頃、

観客は作品の鑑賞者で

「作り手と受け手のガチンコ真剣勝負」という

客に媚を売らない映画が多くあった。

 

今ある技術で最大の表現をしようと

ギリギリを攻め、もっと攻め込む作り手も。

 

今は娯楽もモノも溢れるネット時代になったので

映画が客に「観てもらう」ために必死なのもわかる。

「観てもらう」ためには

観客に「気持ちよさ」や「楽しさ」や「感動」を

与えるモノがあふれるのもわかる。

 

今は「お金を払ったんだから、満足させてもらおうか」的な人も多いからね。

 

「ぼくらの時代」の中井さんの言葉を聞いた日に

観客に「気持ちよさ」や「楽しさ」「感動」

休日のひと時の満足度を与えるのと

真逆の映画に私は出会った。

 

映画「震える舌」を観て気が付いたこと

実は今回のこの日記は

観て衝撃を受けたこの映画「震える舌」の感想を

書くための前書きでもある。

 

震える舌

 

 

震える舌

震える舌

 

 

 

今の「お客様には満足を」「お客様に気持ちのいい楽しい時間を」

という映画とは真逆の作品です。

 

興業を考えても

大きく儲かる作品には思えない。

でも、この映画が投げかけてくることは

観たものの心に刺さりずっと心に残るでしょう。

 

人の人生は儚く

生きるには覚悟がいる

 

そんなことを痛みをもって教えてくれる作品です。

この映画の感想は後ほどゆっくり書きます。

 

この映画をみてわかった事があります。

今の日本が

クレームに謝罪、規制や注意書きに溢れ

息苦しい感じになってしまったのは

「社会的なストレスや将来不安の拡大」よりも

情報に対する読解力の低下が問題なのかも。

 

目に入った情報

耳にした情報

その場で起こっている現象

に対して反射的・感情的な処理しかできない人が増えているのか?

そういった人が大きな声で叫ぶから影響力を持ってしまっているのか?

 

自分の目に入る世界に「不快なモノ」はいっさい赦さない!

まーこれも個人の自由に思えますが

目にするもすべて自分の感情をのせなくてもいいわけですからね。

取捨選択を忘れているのか?

自分が触れる情報の中心が常に「自分」設定なのか?

 

例えば

アンパンマンバイキンマンをアンパンチでやっつけた」

というアニメシーンを観て

「暴力はよくない、子供の教育に悪い」と思ったのなら

向き合うべきはアニメを放送しているテレビ局でも原作者でもなく

親である自分自身と子供ではないでしょうか。

 

「暴力はよくない、じゃあどう解決する?」

これを子供と一緒に考えていき答えを見つけるのが大事な気がします。

 

生きることは覚悟がいるし

正しく生きていても理不尽なことは襲ってくる。

その時に折れない心を持つためにも

状況を受け止め「じゃあ、どう解決する?」という態勢がほしい。

 

そんな「じゃあ、あなたはどうする?」を

問い続けてくる映画が「震える舌」なのです。

 

では、また~☆

映画「震える舌」の感想でお会いしましょう。

 

 

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震える舌

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震える舌 (講談社文芸文庫)

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