イキココロ~はじまる「ココロの旅」
さっそく「アマナ」が出てきましたぞっ
◆カタカムナ第53首を詠む
声に出して音を響かせウタの示しをイメージしましょう☆
【カタカムナ第53首】
イキココロ アマナヘサカル モモヒクニ
ヘツナギサヒコ ヘツカヒヘラ
アマナ+ヘサカル…タカミムスビを感じますね。
◆一音一音の示し
「アマナ」
- ア(感じる、生命、現象化)
- マ(真、間、現象界の間、受容)
- ナ(核、重要なもの、何度も何度も、夥しい)
「ヘサカル」
- ヘ(辺、縁、外側、~へ向かう方向性を以って)
- サ(差、遮り、現象の干渉)
- カ(根源の力、力)
- ル(留まる、止まる、湧きだす、存在する)
ここから音を纏めて「ことば」にして解読を
◆アマナ・ヘ・サカル
アマ=生命・現象化の間(空間)
アマ=アマ界~個々のアマ=大宇宙~小宇宙
こんなイメージでしたが、今までさほど気にしていなかったけど
「感じる(ア)+受容の間(マ)」という意味にもとれるではないか!?
「感受の間=アマ(生命・現象)の本質」なのかも。
やはりアマには「意識も感情もある」のですな。
ここも踏まえて「アマナ=アマの核」という部分をおさえておきましょう。
つまり「生命・現象・アマ空間の核」ってことやな。
ちなみに「アメ~クニ」には「アマナ+カムナ」でできたフトマニの核がある。
(と、私は解釈している)
”イキココロ アマナ・ヘ・サカル=イキのココロはアマナへ盛る”
第53首のウタを読むと、まずはこのイメージがパッと湧く。
ただ、日本神話では「辺疎神(へざかる神)」と示されているので
ここは「アマナ+ヘサカル」で読んでおくべきかも(^^;
◆アマナ+ヘサカル(辺疎神)とは
「アマナ(生命・現象の核)」が(から)「ヘサカル」
- 方向性を以って(へ)
- カムのカから差を以て割かれて(サカ)
- 湧き出し、存在する(ル)
辺疎神はイザナギの右手にあった手纏から生まれた「辺」三神の1柱。
左手の手纏から生まれた「奥」三神と対になるので
- 右(ミキリ)+辺(縁・外側)=形成す=タカミムスビ
- 左(ヒタリ)+奥(内奥~潜象)=カムミムスビ
形成す力=現象化(生命・物質化)して存在する「タカミ」の力を強く受け継ぐ神の御名ではないかと思われます。
「ヘサカル」によって「個々の」存在と成すための
「辺・縁・外殻」つまりはエネルギーの壁を持つようですな。
まさに「サカ」あってこそのエネルギーの壁ですね。
つーことは「イキココロ」というのは
「私と他者」とか「己と他」「内と外」を創るっていう方向性を
持っているわけですな、なるほど。
やはりこの世界は「多様性」を歓迎しているし、
多様性を創造するよう設計されてるんやね。
(つづく)