ここで私は混乱した。
伊耶那伎大神は超巨大?もしくは光態?
さすが神世七代の神だぜ~
私が生きる現・次元の智識で「禊の場」をイメージしようとしても無理がでてきてしまう(;;)とにかく私が当初思い描いていたよりも「禊の場」が広大である可能性大っす。
日本人なら一度は古事記の解読に挑もう!
ということをマジでおすすめしている私です。
面白いし、日本人の血が沸くので。
では、解読の続きへ
是に詔りたまはく「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」とのたまひて、初め中つ瀬に堕りかづきて、滌きたまふ時に成り坐せる神の名は、八十禍津日神。次に大禍津日神。
此の二神は其の穢れ繁き国に到りたまふ時の汚垢によりて成れる神ぞ。
(「古事記」より)
古事記では「滌き」と書いて「すすき」と読んでおります。
・「滌き(すすき)」=あらう
・「漱き(すすぎ)」=口を洗う
伊耶那伎大神は最初に「詔」にて宣言のように御言葉を発している。
『上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し』
(意:川上にある瀬は流れが速く、川下にある瀬は流れが弱い)
この世の川の水の理を御言葉で創造されたものなのだろうか?
こう宣言して、川上と川上の流れの関係を創造することで「中=中間(ちょうどいい)」を創り出したのだろうか?
川の流れの中間、水流が速すぎず弱すぎない「中つ瀬」でいよいよ、御身についた穢れの垢をおとされたのです。
「瀬=川の水(水流)」を指す言葉なので 急に場面が「川」になった!
ここまでの場面が「 川(下流)~海(海岸~浅海)」での出来事かと思っていたら、急に川の全体が見えてきてビビっております。
私が想像したよりも伊耶那伎大神は大きく,特異態なのかも。
時間にも重力にも支配されてないようなのでどこにでも瞬時の移動可能というか、目の前にその空間場をもってこられるのかな?
「水」という不思議なエネルギー態が「水流」によって「全一」である可能性も高い。
「瀬・せ」という言葉も面白くて、
「川などの流れが浅くて歩いて渡れるところ」という意を示すのですが、この字の成り立ちから見ると「川の水が砕けて流れる⇒急流」を表した字だったりします。
まるで正反対の水の勢いをあらわしてるじゃないか~⁇
とになく「川の水・水流」に関係する言葉であることは間違いないようです(^^;
穢れを祓う時は「(水の)流れが速くても弱くてもダメ」なのです。たぶん、ここ重要だと思う。
祓いのためのエネルギーのリズム・周波数とかあるんだろう。
伊耶那伎大神は「中つ瀬に堕りかづきて、滌きたまふ」のです。
「中つ瀬に身を沈めて、滌ぎ(洗い)たまう」この時 二柱の禍津日神が生まれたのです。
水、水流の洗浄力(浄化力)凄い!
これが「川の水」だってことを覚えておきましょう。
(つづく)