「事戸(ことど)を度す」本当に「離婚の宣言」なんでしょうか??
古代日本の智の探求にはまり、
日本語のヒビキの神秘構造に感動し、
今やっと「古事記の解読」にむかっております。
では、解読の続きへ
イザナギ命が境界を塞いだ「ちびきの石(大岩)」を間に置き、夫婦が向かい合い(対峙して)、「事戸を渡す時」とはどんな状況を示しているのでしょうか?
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「ことど」の「ど」は呪言を示し、「事戸を渡す」とは、一般的には『離婚の呪言を言い渡す」と解釈されているようです。
でも、私は「事戸(ことど)」の字を見ると… 「離婚の宣言」には思えないのです。
どちらかというと「境界」に関わる宣言じゃないか、と。
「言戸が渡された=言葉だけが通れる戸」であり、
「事(事象)が異なる(法則界の)境界の戸であるが故に、言しか通れない」って意味じゃないかと。
逆に考えますと、「言呪(ことど)=言霊」は境界を越えヒビキ作用するって意味の示しでもあるんじゃないか、と。
でも「地上界=イザナギ命」「黄泉国(あの世)=イザナミ命」と見立てて、境界が閉ざされし異界とする物語的示しだとすると 「さすが、お見事」というしかないっす。
(つづく)