プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】禊・祓い編~御帯⇒道之長乳歯神(みちのながちは神)

もしかして…

日本人なら「古代日本の智」「日本語の神秘構造」の探求を是非とも趣味にしてほしいと思う私です、めっちゃ日本人であることを「誇り」に思えるよ~

 

そして「古事記」の解読にも取り組んでほしいと思っております。

 

では、解読の続きへ

次に投げ棄つる御帯に成れる神の名は道之長乳歯神

(「古事記」より)

 

禊にて、伊耶那伎大神が「投げ棄てた御帯(みおび)」が⇒「道之長乳歯神」へ

この神は「長い道行きの末」を表す神だといわれていますが…私にはまったく別のものが見えております。

「投げ棄てた御帯」に宿る力を考えてみる

A:帯の端は「結ばれている」のです。

 

 

投げられた帯⇒斥力+御帯(端を結ぶ力をそもそもし持つ)

つまり、先に投げ棄てられた「御杖」から成った「衝立船戸神」が結界の柱(杭)が建てられた(打ち立てられた)ことを示しているのなら、「御帯」から成った「道の長乳歯神」はその柱・杭を巻くエネルギーの壁で外界からの防御壁であり、

 

「その端は結ばれている」ということは、神聖な閉じた空間がここに創造されようとしているのではないでしょうか。

 

更にこの御杖や御帯は「投げ棄てられた」ことで「斥力」を発すると同時に、その閉じられた神聖な空間内では「斥力」の反作用で「求心力(引力)」が生まれているとしたら…

 

「この神聖な空間内に循環を生む」

渦巻き状のエネルギーの歯車がここに現れた(生成された)ことを意味しているのではないか、と思うのです。

 

帯だから…神聖な空間内で「巻き結ぶ」のと「解き延ばす」力が呼応しているのかもしれません。これが超弦理論につながるんかの~⁇

 

(つづく)

 

 

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