「古事記」の解読作業中…
古代日本の智、日本語のヒビキの神秘構造、来神道の世界
これらに触れ、日本に生れた事+日本人として今生ある事に「喜び」と「誇り」を強く感じている私です。
では、古事記の解読をすすめましょう~
黄泉の国から逃げ還ってきた 伊耶那伎大神が穢れを祓うために
日向の海岸で禊をはじめ、身に着けていたモノを海に放り棄てた。
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この時に「 伊耶那伎大神が身に着けていたモノ+放り棄てられたモノ」を物実として生れた神々が十二神が出揃いました~!
古事記にはこう書かれております。
右の件、船戸神より以下、辺津甲斐弁羅神より以前、十二の神は身に着けたる物を脱ぎたまひしに因り、生れませる神なり。
(「古事記」より)
”身に着けたる物を脱ぎたまひしに因り”⇒生み出された神
ここ重要なんだと思われます。
何となく、「脱皮」とか「変容・第二形態への進化」みたいなものを感じませんか?
私の中では、禊・祓い(三貴子誕生まで)の場面というのは、生成祖神「伊耶那伎神大神」の「変容・新形態への進化(自らの完璧なウツシを創造)」するための「結び」のシーンであると解釈しております。
んで、この「身に着けていた物を脱ぎ捨て、そこから生まれた十二神」は、十二神全体で「伊耶那伎大神が自らの完璧なウツシを造化するための巨大繭」だと思うております。
故に、十二神それぞれが「結界」「境界」に関わる神名を示しているんだと。
これが1つ目の解釈で、これが大元・本質・芯柱のようなメインを示す解釈です。
そして、これがアマ界という領域の誕生~「アマ(大アマ~小アマ=大宇宙~小宇宙)」の生成の根源法則を同時に示している(すべては相似象)と考えると、第二の解釈もみえてくるのです。
(つづく)