正確には「水流で洗い流された汚垢」ですな。
ということで、日本人なら「古事記の解読」に挑戦してみて~を推している私です。
日本語のヒビキの神秘構造と、それより生み出される「言葉・詞」の力を感じられる。
では、解読の続きへ
汚垢から成った第二の神:大禍津日神の登場場面をおさらい
是に詔りたまはく「上つ瀬は瀬速し、下つ瀬は瀬弱し」とのりたまひて、初め中つ瀬に堕りかづきて、滌きたまふ時に成り坐せる神の名は八十禍津日神。次に大禍津日神。
此の二神は其の穢れ繁き国に到りたまふ時の汚垢によりて成れる神ぞ。
(「古事記」より)
黄泉の国に行った(入った)伊耶那伎大神の御体に着いた「黄泉の穢れ=汚垢(けがれ)」から成った神なのです。
しかも、こちらの聖域+清流にて「洗い流された汚垢(ケガレ)」から成った神の第二神。
大禍津日神(おほまがつひのかみ)
一般的には「大きな禍」を示す神だとされております。
大災害・巨悪・大困難
個々人に振りかかる「禍・災い」というよりも、
国に振りかかる、国中を襲う「禍・災い・巨悪」という感じでしょうか。
しかし、私の解釈はちょっと違うのです。
「大・おほ」を冠に持つということは、八十(やそ=数多く)の禍津日神たちの「主」となる神なのだと考えております。
全ての「禍津日(神)」を統べる大神という認識です。
八十(やそ)の禍津日神々も、この大神の意の元に「ある」ではないか、と。
そして、この二柱の「禍津日神」の本質は「禍」ではなく、「まがつ・ひ」というヒビキの方にあるのだと私は考えております。
『まがつ・ひ』の大神が大禍津日神。
「まがつ・ひ」という響きを聴いてどんなイメージが湧いてきましたか?
(つづく)