プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【古事記を読む】禊・祓い編~其の禍を直さむとして成れる神③伊豆能売(いづのめ)

不思議と「神」という尾語(?)字を持たない神の登場っす。

古事記にはしっかり「併せて三の神なり」と書いてあるので「禍を直す三柱の神の一柱」であることは間違いない。

 

 

 

でも何故「伊豆能売神」ではなく、「伊豆能売」なのだろう?

天の神霊力の現れとはまた違った存在なんですかね?

日神でも毘神でもない「伊豆能売(いづのめ)」

伊豆=神聖なる(伊)高坏に盛られた穀物=豆(実・種)

能売=可能・技・能力(能)+金⇔物の交換、エネルギー⇔生命・現象化(売)

つまり、生命・現象となる力をもったエネルギーの塊りである「伊豆」を示し、その「伊豆」が持つ生命力(伊豆の芽)のことを示しているのではないか、と。

更に「豆」には「腎臓」の意もあり、腎臓=血液から不要な物を取り除いて、尿として排出する器官のことなので…この世に生み出される生命・現象の「生命力」にはこの自浄・排泄作用が備わっているよ~って示しじゃないか、と。

 

「神霊力」ではなく、「生命力」だから「~神」という名ではないのだろう、と。

更に 神よりも神人たる「巫女」に近い存在なんじゃないか、と。

んで、私の勝手な考察なのですが…

伊豆能売はまさに「ある大神の伊豆(前身)」であり、このカム・マカ・アマを繋ぐ巫女神こそ、後の「天照大御神」なのではないか、と思うのです。

 

(つづく)

 

 

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