注意:「功徳を積む」の反対語ではありませんよ
達磨大師の言葉
「無 功 徳」
神のご利益を求めて善行をするのではなく
そういった欲から解放されて
自分が気持ちよく生きるために
見返りを求めず「善いと思う行い」をして生きること。
善い行いをしたことで自分を誇らしく思えたら
既に気持ちは幸せに満たされている。
(そのことに気づきなさいってことらしい)
満足に生きるってこういうことかもしれませんね。
自分で正しいと思う行い、善いと思う行いをして生きることで
心は常に軽く爽快で自分自身を誇りに思えるし愛せるのかも。
自分を満たせるのは常に自分自身ということか。
神からのご利益は
宝くじやロト6の1等くらいのイメージで
「当たればラッキー~」と思ってるくらいがちょうどいいね。
これをしたら、何が貰えるか?
これをやったら、どんな得があるか?
ばかり気にしていると楽しくないでしょってことらしい。
「期待」するぶんやきもきして、その期待に結局振り回されるからね。
なるほどね~