プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【独女人生学】ゴリラはとても優しい~愛情深さと「幸せな人生」の不完全さ 理性的なゴリラたち

 

ヒトと言葉を交わすゴリラ“ココ”の物語(吹替版)

「LIFE」を読んでいて『ゴリラはとても優しい』と知り

興味が湧いてゴリラのドキュメンタリーを探して観たのが

あの「手話を使うゴリラのココ」の44年間の記録だった。

 

 

もともと「ゴリラ!」と興味を持ったのは

「ゴリラは家族思いで浮気をせず、

理性的であるため睾丸が小さい」

というような事を本で読んだからだ。

LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方

LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方

 

 

※本の中ではもっとちゃんと解説されています

 

凶暴で強いイメージがあったゴリラの意外な一面を知った気がした。

もちろんメスもめっちゃ愛情深いのだ!

メスに至っては「自分の子」以外の存在にも強い愛情や優しさを示すことも。

 

「もっとゴリラのことを知らねば!」

と思って探して観たのがこちら「手話で人と交流できるゴリラのココ」の

ドキュメンタリーだよ。

 

 

手話を話すゴリラがいる!

子猫を可愛がるゴリラがいる!

というニュースとかテレビでの紹介で私も知ってたゴリラのココ。

 

でも驚いたのは、

ココの研究が44年以上も続けられてきていること!

「ゴリラが手話を覚え人と交流できる」こと以上に

何をそんなに40年以上も研究しているのか!?

 

と思いながら観たのですが

やはりゴリラと人間の間に存在になってしまった「ココ」を

見ていると「幸せな人生」とは

常に「if」という別サイドの違う幸せの影となって

存在しているんだなぁ・・と思い知らされました。

 

というコトでココ中心でありつつも

「ゴリラ」に学ぶ人生学φ(..)メモメモを

ここに書き写しておきます。

 

 

ゴリラはとても優しく理性的なのだ!

ゴリラというと強くて凶暴なイメージがあった私です。

こんなイメージ

キングコング:髑髏島の巨神(字幕版)

ヘリコプターとかメシッと握りつぶしちゃう!

 

キング・コング (吹替版)

やんのか、こらぁ!

 

常にこんなに乱暴でなくとも

類人猿の最強戦士的イメージだった。

怒ったらめっちゃ怖いでぇ、893的なイメージ(^^;)

 

ところが「LIFE」に書かれていたゴリラの生態は

まったく違ったのだ。

 

簡単に言うと

ゴリラはとても優しく理性的で、

無駄な闘いは避け

時に人間の子供も救う。

 

メスゴリラは自分の子でなくとも愛情を示すらしく

動物園でゴリラエリアに人間の子が落下したり

侵入した際はかけよって守ろうとする行動をとったことが

多数報告されていそうだ。

 

何たる友愛の心(;;)

 

オスゴリラも妻と子を大事にする

浮気をしないよき夫、よき父なのだ。

 

総合したら人間よりもよほど理性的で穏やかな生き物ではないだろうか?

と思うと同時に「とても人間に近い」と思った。

 

上手く言えないが「精神世界」のようなものを持っているんだろうなぁ

というようなことがこの時点で思い浮かんでいた私です。

 

ゴリラは理性的である為、睾丸が小さい

 

理性と睾丸の大きさって関係性があるのか!?

と、まずそこに興味が湧いた私っす。

 

LIFEにによれば

ゴリラが類人猿の中でも

特に理性的である証拠に

類人猿の中で睾丸が最も小さい。

 

LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方より

と書かれていたのだ!

 

さらにその説明として「チンパンジー」と「ヒト」が登場。

 

◎ゴリラのオス

一夫一婦制でオス・メス共に浮気をしない。

交尾の相手が決まっており、相手もまた浮気をしないことで

繁殖行為をとにかく数こなす生存戦略が必要がないため

睾丸が小さくても大丈夫なのだという・・ホンマか!?

 

チンパンジーのオス

乱交型でゴリラの100倍交尾を行う。

自分の子を残すための交尾なので睾丸は必然的に大きくなる。

 

◎人間の男性

睾丸の大きさはゴリラとチンパンジーの中間くらいの大きさ。

ということは・・・・なるほど。

 

◆生物学的にみると

 類人猿たちはほとんどの場合、

乱交型 あるいは一夫多妻制。

 

逆に、「ゴリラ」だけがすごいのかの(^^;)

どうもLIFEで読んだ感じだと

もう既に「悟り」の心を持っていそうで怖いくらいだぜ~

 

◆ゴリラの猿らしい部分

このままいくと

ゴリラ=悟りの域の生物

になってしまいそうなので

1つゴリラの猿らしい生態を。

 

ゴリラが糞を投げるのは・・・

愛情表現なんだって!

 

人間的に考えると

糞を投げてくる相手のことを

「相当、嫌いなんだろうな・・」って思っちゃうけど

「好き」なのね!?

 

糞の価値が違うのか?

自分のニオイをつける行為なのか?

 

人間の世界で「特別なゴリラ」として生きるココは幸せなのか?

ココのドキュメンタリーは

ココと研究者ペニーの44年に及ぶ交流と絆の構築は

本当に凄いし「本物の家族」と思えます。

 

ココもとても大事に育てられています。

実験動物ではなく、ペニーに「娘」のように

愛情を注がれています。

 

ふたりの関係が本物の「母娘」に見えてくると同時に

6歳から44歳になるまでずっとココが

「自分の赤ちゃんが欲しい」「ゴリラの家族が欲しい」と

いう気持ちをもっていたことの重みがずっしりきます。

 

ココは若い頃に年下のオスと一緒に暮らすのですが

姉とやんちゃな弟のような関係で交尾にはいたらなかったのです。

数年後別のオスゴリラがくるもココが赤ちゃんを抱くことはなかった。

 

本来家族で行動し

赤ちゃんの時は母親にべったりで

兄弟関係から色々学ぶゴリラですが

ココは生後6か月で他のゴリラから離れ人工保育で育ち、

その後ずっと大学やペニーたちの研究施設で暮らしています。

 

ペニー自身も自分の人生を「ココ」に捧げているように見えます。

ココを娘のように愛するからこそペニーが気にしているのです。

「ココに家族を持たせてあげられなかった」と。

 

ペニーもココも愛と信頼と絆による幸せな人生を送っているように見えるんです。

でも、その一方に「ひとりの人として」「一匹のゴリラとして」の

別の幸せがあった・あることも強烈に感じてしまうのです。

 

いくつもの生き方があって

どんな選択をしても「幸せ」になれると思うんですが

やっぱり選択しなかった方の幸せな自分の姿もチラつくんですよね。

 

この欠けた部分があるからこそ

「今の幸せ」を大事に前に動いていけるのかもしれないですね。

選んだ幸せが尊いものになるのも

選ばなかった幸せの影があるからこそなんですかね。

 

「幸せ」は不完全でいいのかも。

どこか喪失感の影があるからこその実体ある幸せなのさ。

 

ココは自分をゴリラと認識しながらも

ゴリラより人間が好きなんだそうです。

ゴリラと人間の両方の世界を生きたココは

ゴリラでも人間でもない特別な存在になってしまった。

「唯一の存在」になったことで

やはりどこか「孤独」に見える。

 

ココが教えてくれることはとても深いです。

 

では、また~☆

ちなみにココは手話でよくおしゃべりします。

やっぱり女の子だからですかね~

 

 

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