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【独女人生相談】「努力が報われない」~努力がモラル化した生き方美学は明治以降と気が付く

お題「最近知った言葉」

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努力も真面目も報われない・・のか?

どうも~読書していたら気になる三島由紀夫の言葉に出会って

「努力」とは何か?を調べてみた考える暇人・プロ独女みつまるです。

そしたら私の予想外の結果が出てきたよ!

 

 

 

最近メモをしっかり取りながら読んでいる

こちらの本の中に注釈メモみたいな部分で気になる記載があったのです!

 

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

 

 

その言葉は「自分と他人を比べて落ち込んでしまう」という悩みのテーマに

ミハイ・チクセントミハイの哲学思想からの答を解説してくれている中の

小さな注釈&補足の中にあったのです。

 

 

 

 

「我々の社会は努力にモラルを置いている」:三島由紀夫

 

この三島由紀夫の言葉に触れた時

私はこうなった。

 

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たぶん、あなたも撃たれるはず

記載されていたものにはこの続きものっている

 

我々の社会は努力にモラルを置いている結果

能力ある人間を わざとのろく走らさせることを強いる

という社会独特の拷問について

ほとんど触れるところはない。

 

三島由紀夫

 

ここで私は「努力にモラルを置いている」という部分が異様に気になったのだ。

しかも努力にモラルを置いているのは「社会」であって

「社会の意志」または「社会が意図的に」努力を道徳や倫理感と結びつけ

美徳であり美しい生き方であり賞賛されるべきとしたのではなかろうか?

そう思うようになったのだ。

 

 

「努力」意識の台頭は明治以降

 

私は早速、「努力」の意味の確認をすることにしました。

そこでここを読んでまた驚いた!

 

kotobank.jp

この中の精選版 日本国語大辞典の解説を読んでほしい。

奈良時代の文献に見つけることができるが

古事書類に搭載されていないということから

こう書いてあるのだ!

 

近世まであまり一般的ではなかったと思われる。

広く用いられるようになったのは明治以降で

「哲学字彙」(一八八一)にeffortの訳語として登場する。

 

※上記リンク先の 精選版日本語大辞典の部分より

 

 

努力が生き方として美徳まで昇華したのは

もしかしたら昭和の戦争前後からなのかもしれないが

少なくとも今ほど「努力」が道徳的、倫理的な賛美を受ける

ことでもなかったと思われる。

 

私は小学校時代に「道徳」の授業があり、

学校には二宮金次郎銅像があった。

そして時代劇がけっこうテレビのゴールデンタイムに放送されて

ひたむきに生きる百姓や民を良心と良識ある権力者が救ってる話が多かった。

 

政治・教育さらには国際的な影響力も含めての

「社会」が勤勉な人間を量産すべく

成果ではなくその過程である「努力するという生き方」を美徳と

印象操作したのかも・・・・しれませんね。

 

 

「努力」を再認識するため分解して再構築してみる

 

んでも、努力に価値がないのか?つーと私はやはり努力には力があると思うのだ。

それは努力とはもともと目的達成に向け集中して取り組む状態の継続だからだ。

 

  • 明確な目的(努力を向ける方向)
  • 正しい方向の努力
  • 夢中になって集中して取り組む状態
  • 集中して作業することの長期の継続

 

がまず必要な要素なんですよね。

 

そして、もっと大事なことがこれ。

自然界が「進化」を目的にしているように

「物理的変化・物質的な変化」が大事なことは

人の活動においても一緒だろうとこは明白。

 

視点を世界に向けると

やはり「作業過程」ではなく「成果」で判断されるからね。

 

成功している人って

結局は目に見えて変化を起こした人であり

「結果」を出している人なところもポイント!

 

あと「努力」というのは

渡された問題に対して用意された「正解」「解答」を探すことではなく

トライ&エラーを繰り返しながら目的に向かい経験からの学びを積んでいくことであり

本質はまず「問題を見つける」能力を鍛えることにあるような気がしている。

 

 

「努力」という意識を捨ててみる

 

分解して再認識してみても

努力できる人に敬意をもつことはやっぱりいいと思うんですよ。

継続・無我夢中って物凄い力あるから。

 

でも「努力≠期待する結果を得る」なので

努力と報いを切り離して

 

  • 我を忘れて集中できること(無我夢中)
  • 継続できること(継続の意識も無く結果的に継続している)

 

この2つに該当することを大事にするだけでもいいのかもよ。

 

 

 

 

問題集をこなすことよりも問題を見つける力を磨こう

 

最後に私が痛感して反省している部分を書いてみます。

 

学校の勉強って

与えられた問題に「正解」をこたえる能力が問われるんですけど

実際に大人にかって社会で問われる能力は

現実社会や現場での「問題・エラー発見&解決能力」なのです。

 

過去の知識の丸暗記と再利用ではなく

それら含め膨大な知識や先人たちの知恵を借りて

自分の目の前の問題や状況を変えていく応用力と創造力なのです。

 

 

まとめ:「努力」は人生の免罪符にあらず

以前、教会が発行した「免罪符」の話を書きました。

欲しい結果を得られなかった自分

理想と違う現実の自分の人生を肯定する為に

  • 努力した自分
  • 努力している自分

を免罪符にして「私は救われるべき人間である」と思わないようにしよう。

 

私はかつてこの思考でした。

真面目に一生懸命目の前の与えられた仕事や問題に

真摯に取り組んでいれば報われると思ってた。

結果、「使いやすい人」扱いされて気がついたら自分がぶっ壊れる寸前だった。

 

今は目的・計画・人生戦略は必要だと思っている。

自分の人生に貪欲でいいと思っている。

 

「努力」の呪縛から解放されよう。

「努力」の意識捨てちゃってもいいかも。

夢中になって続けるだけでいいじゃん。

 

では、また~☆

 

 

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