サイコパスでは朱が追う「悪の主犯」に当たる人物がいつも…
【劇場版サイコパス (一作目)の感想】
悪は美しい姿で、法やシステムを盾に鎧に堂々と悪事を働いている。
それがこの世界の真の姿を暗示したかのような作品でした~
この作品シリーズでは朱&狡噛が追う「悪の主犯」がいつも美しい姿で描かれている。
マキシマ然り、今回の悪の主犯であるアイツ然り、ふたりとも作品中で群を抜いた美形なのだ。
美しいというのは人から勝手に「信頼」されるものだから、かな。
美しい姿というのは人々を魅了する、「美しい造形」ってのに神や神秘性を感じてしまうからなのだろうか?
悪魔も「美しい人間の姿」で人の前に現れるっていうしね。
劇場版まで見て気が付いたんですけど!
この主役たち(メインキャラたち)って
自分の半身(心根にあるモノの半分)と同じものをもつ人と強く引かれ合っているんですね。「惹かれ合う」じゃなくて磁石のように「引かれ合う」って意味です。
朱と狡噛
狡噛と槙島
狡噛と宜野座
宜野座と朱
磁力の反発という点から行くと
朱⇔シビュラ⇔槙島 もだね。
そして、なんだかんだで朱と槙島
やっぱり「自分が見ている、自分がいる世界」ってのは
自分自身の投影なのかもしれない。
それにしても「擬態アンドロイド」の目がバッキバッキで逝っちゃってる感…
まるでヤクチュ~の人間みたいや~