プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【ドキュメンタリー映画】ナオトひとりっきり~震災後福島県富岡町に残り動物たちにエサを与え続ける男

ナオトひとりっきり

注意:このドキュメンタリー映画

「ジャッジする心」を捨てて観ることをおすすめします。

 

 

福島第一原発から12kmの町~富岡町

2011年に震災で街は一変し、誰もいなくなった。

 

震災後2年間 富岡町は警戒地区とされ出入りが制限

2013年3月町の一部が「避難指示解除準備区域」となり

出入りが自由となった

しかし未だに平均被曝量の20倍近い放射線量があり

町は無人のままで人が住める状態ではなかった

この街にたった一人残った男がいる

彼は町に残された腹を空かせた動物たちにエサを与え続けている。

その男、松村直登さん(55才・2011年時)に密着し記録したのが

このドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」です。

 

 

ナオトひとりっきり

ナオトひとりっきり

  • メディア: Prime Video
 

 

 

「ナオトひとりっきり」で知る震災後の福島県富岡町

淡々とナオトさんの毎日が記録されている映像です。

密着ドキュメンタリーなので「あらすじ」というのも変なので

私がこの映像を見て知った震災後の原発側の町の姿を

ここに書き残しておこうと思います。

 

福島第一原発から12kmの町:富岡町

2013年3月に町の一部が「避難解除準備地域」になったが

未だに高い放射線量を示すこの街に戻る町民はいない。

 

町からは「人だけ」が消え

建物は廃墟と化し

何百頭ものお腹を空かせた動物たちが取り残された。

 

この町にひとり残り、町に残された動物たち

(牛、馬、豚、犬、猫、ダチョウなど)に

エサを与え続ける松村直登さんが案内してくれた町の現状。

 

2013年11月~2014年3月末までの富岡町の様子を見ることができる。

  • 人が消えた町
  • 原発で栄え、原発事故で廃墟になった町
  • 牛舎につながれたまま餓死した100頭以上の牛たち
  • 植物は芽をふき、花を咲かせ
  • 動物たちは子を産み繁殖していた
  • 家畜たちは飢え、病気になり弱っていく
  • ナオトさんの活動を知った人たちが世界中から訪ねてくるようになった
  • 形ばかりの除染作業が行なわれ続けている

 

「ナオトひとりっきり」というタイトルだが

ボランティアの獣医の方など、極少数の協力者が存在する。

 

あとは是非、このドキュメンタリーを観て

あなた自身で確認してほしい。

 

ジャッジする心を捨て、ただただ観るべきドキュメンタリー

ひとり残り、動物たちの世話をしているナオトさん

でもこれは単なる美談ではないし

彼がエサを与えてくれているからと言って

動物たちが人間に振り回されている現状は変わっていない。

 

彼が町をまわりながら

現状を教えてくれるその言葉は

どれもが国や原発への「怒り」がこもっている。

 

目の前の命、

人間に見捨てられた命、

残された動物たちの命に向き合い

エサを与える彼の行動は「すごい」と思う。

 

このドキュメンタリーで観る彼の行動

彼の言葉からの印象ですが

動物たちへの慈悲や慈愛の気持ちもあるけど

こういう状況になった事への「怒り」が

強い原動力のように見えました。

 

動物たちを自分と同じ「震災被害者」として

救うことが自分の存在意義になっているのかもしれません。

震災で何もかも失って、避難所もいっぱいで

親戚を頼るも放射能の影響を恐れ受け入れてもらえず

結局は元の自宅にもどったことがはじまりのようです。

 

世話している牛たちも国からは繁殖は禁じられているというが

山からやってくる野生化したオス牛たちと交わり

春には子牛が次々に生まれる。

彼が世話する牛たちも弱肉強食で弱い牛はエサになかなかありつけない。

彼が飼っている猫も春にたくさんの子を産んだ。

 

彼は牛飼いの知識ないまま牛の世話をしている。

牛の名前も個体識別もない。

子牛が生まれても親子関係を把握はしていない。

ボランティアで牛を観てくれる獣医はその点を心配していた。

 

エサを必死に与え続けているが

管理できていない、

エサの確保で手いっぱいなのだ。

 

彼に協力している獣医は

ちゃんとプランを立てて、2年毎にプランを立て

牛たちの世話をしていくべきだとアドバイス

無計画に繁殖を続けては牛たちもナオトさんも

もたないと心配している。

 

私も実はこの映画を観ながら

獣医が指摘した点が気になっていた。

 

更に私を驚かせたのは

ナオトさんが2013年秋に震災を通して出会った女性との間に

子供が生まれていたことです。

一緒には住んでいないし、

この先もいつ一緒に暮らせるかわからないという…

 

2013年で当時57才で無職

生活資金は東電からの補償金

餌代は援助もあるがひっ迫

動物たちの世話がある中での子供の誕生

手放しで「おめでとう」という状況には思えませんでした。

 

世界中で注目されるようになり

彼を訪ねてくる人たちが増え

動物愛護と原発反対のシンボルのように扱われたり

その点も正直いうとどこか違和感を感じました。

 

でも私には彼の行動を含め

すべてのことに対してジャッジする権利もないし

「いい」「悪い」で判断できることではないんですよね。

 

私にできるのはただただ

「こいういことが在る」と知ることだけ。

何かを問うのであれば自分自身に対して

「じゃあ、どうする?何する?」しか言えない。

 

人間を置き去りに、植物も動物も今を生き続けていました

ドキュメンタリーでは

震災、原発、国、警察、東電、政治家、役所

あらゆるものに対する「人間の怒り」が映し出されいました。

 

原発により発展し

震災・原発で廃墟になった

恩恵を受けたことも認めつつ

それでもやはり怒りを抑えられない

そんな様子がナオトさんを通して描かれていた。

 

色々と人間たちが問題を抱える中で

印象的だったのは

植物や動物たちはただただそこに生きていたことです。

放射能を恐れることもなく

花を咲かせ、エサを食べ必死に生きていました。

 

ナオトさんの言葉で印象的だったもの

「自然に勝とうなんて無理、共に生きていくならまだしも勝とうなんて到底無理」

人間以外の生き物は今も淡々と同じ場で生き続けていました。

 

置き去りにされているのは人間なのかも。

 

30年後の富岡町

ナオトさんは30年後には

富岡町が人が住める状態になり

2013年に生まれた我が子と奥さんと

一緒に暮らせていることを希望に頑張っているそうです。

 

「あきらめない」

どんな状況でも、できることをやる

 

言うは易く、行うは難ですよね。

私ももっと諦めないで行動しないとね。

 

ただただ観るということも学べました。

物事を自分の物差しでジャッジしない一歩が踏めた。

 

では、また☆

 

 

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