プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【映画部&武士道】バルトの楽園~ドイツ捕虜にも仁義を貫いた会津侍:松江豊寿氏の姿を描いた名作

お題「ゆっくり見たい映画」

バルトの楽園

もっと早くこの映画観ておけばよかった(;;)

映画館で観たかった…名作じゃないか!!

「武士道」で読んだそのまま真っ直ぐな武士魂で

戦争時も生き抜いた方が実在してたぁぁ(感涙)

 

 

最近の日本社会は攻撃傾向が加速しているように感じる。

「自分と違う=敵」だから攻撃してもいい…

そんな行動原理になってしまっている人が目立つだけなのか

大勢いるのか…

 

なんとか認めあって助け合う社会になってほしいと

願いつつも、

コロナショックで世界が揺れている中

混乱に乗じて「自分さえよければ」という

買占め、転売、詐欺の横行を見ていると

途方もない願いに思えてくる。

 

でも、映画「バルトの楽園」で描かれていることが

史実に基づいたもので

坂東俘虜収容所で実際にあったことで

所長の松江豊寿氏が実在する人物だと知り

心に希望が広がっている。

 

どんなに混乱の時代でも

権力と支配と暴力が自分たちに都合のいい「正義」を

掲げて大きな力で人々を動かしている中でも

「仁義」に従て、自分の良心に従って生き抜いた人がいる。

 

時間は悪徳の最大の敵で

必ず最後には「何が正しくて、何が悪かったのか」暴く

と言われるが、本当だと思う。

 

1917年に日本軍の上層部の意向に反して

自分の正義を貫いた

仁義に生きる会津人・侍の誇り高き松江豊寿氏の

俘虜収容所長官としての行ないに

今を生きる我々も学ぶべきことが多い。

 

是非多くの人に知ってほしい実話であり

日本映画の名作です。

 

バルトの楽園

バルトの楽園

  • 発売日: 2019/07/12
  • メディア: Prime Video
 

 

 

バルトの楽園」あらすじ

徳島県にあった坂東俘虜収容所での実話を基に

つくられた映画です。

 

1914年第一次世界大戦

日本軍はドイツの極東基地である

中国の青島を攻略

 

日英同盟により3万人の日本兵が乗り込み

青島のドイツ兵約5000人を攻め落としたのだ。

 

ドイツ兵約4700人は捕虜として

日本各地にある収容所に移送された。

収容所での厳しい待遇が当然だった中

奇跡のような捕虜収容所が徳島にあった。

 

坂東俘虜収容所の所長を務める

松江豊寿は陸軍上層部の意向に背いてまでも

ドイツ人捕虜たちの人権を尊重し公正で寛容な待遇を持って接した。

 

坂東俘虜収容所内では

ドイツ人たちは自分たちの技能を生かし

パンを作ったり、機械を動かしたり、橋を作ったり

音楽を演奏したり、養豚・養鶏・肉加工など

坂東地域住民との技能・文化交流を通し

経済活動も行っていた。

 

収容所内ではビールも煙草も認められていた。

こうした松江所長の姿勢に

いつしかドイツ人捕虜たちは自然と

松江氏に敬愛の念を持つようになる。

 

1919年6月の調印でドイツの敗戦が決まり

捕虜たちは解放されることとなる。

 

坂東俘虜収容所での松江はじめ坂東地域の人々の

寛容な心つがいに対し

収容所のドイツ人たちは感謝の意を

オーケストラによる第九の演奏により示した。

 

戦争の時代に

敵国人捕虜として蔑むのではなく

ひとりの人間として敬意をもって向き合い

助け合う姿がこの坂東地域には確かにあったのだ。

 

会津人侍として生きる松江豊寿

軍人の中に在って

ずっと会津人・侍でありつづけた松江豊寿

 

彼が戊辰戦争で賊軍と呼ばれ

冷遇に耐え抜いてきた会津人だからこそ

敵国の兵士であろうとも

「自国のために必死に戦った立派な兵士たち」

と見れていたのです。

 

バルトの楽園 [レンタル落ち]

このトレードマークのひげは

「侍として、会津人としての誇り」と言っています。

 

真っ直ぐに仁義誠に生きた父親の影響も大きい。

 

軍内でも「会津人」ということで

酷い態度をとられることもあった。

現政府・権力の上にいる人たちほど

会津人に冷ややかな目を向けていたようだ。

 

戊辰戦争後に賊軍として冷遇に耐えてきた会津人だからこそ

捕虜として収容されているドイツ人たちに

どうやって敗戦経験後

人として生きる希望と自信をとりもどさせるべきかを

考え行動していたように見えた。

 

仕事を与えられ、技能をいかし

教えること、稼ぐことで

イキイキとするドイツ人捕虜たち

 

国が違っても

持っている知識や技術が違っても

信じているモノが違っても

本質的に人間は同じって

経験から理解していたんだろう、すごいなぁ。

 

戊辰戦争後の会津人が受けた冷遇

この映画は2つの大事な史実を教えてくれた。

1つは坂東俘虜収容所での国を超えた人と人の交流

もう一つは会津人が受けた冷遇だ。

 

信じる正義・大義にために戦った

会津の人々は子供も女性も老人も大勢が戦地で散った。

そして生き残った会津人は賊軍と罵られ

すべてを奪われ、北の最果ての地へ送られたのだ。

 

南斗の地の開拓が命じられた。

雪に覆われた不毛の台地。

そこでは寒さと飢えで多くの会津人が命を落としたという。

 

映画で再現されたその様子は

ウィンド・リバー」のインディアンたちと同じだった。

 

ウインド・リバー(字幕版)

ウインド・リバー(字幕版)

  • 発売日: 2018/12/04
  • メディア: Prime Video
 

 

この地での暮らしを会津人が耐えられたのは

新政府への復讐心でも怨みでもなく

会津人としての誇りがあったからだ」という。

 

青島戦での日本軍の死者約1800名

松江豊寿氏のように生きたいが

それが困難なのは

一方で「青島戦での日本軍の死者」の存在だろう。

 

映画でもこの戦争で戦死した息子の父親が

いつまでもドイツ人捕虜とその関係者を赦せないでいた。

当然だと思う。

 

酷い悲しみにあった時

やはり誰かを恨んだり憎まずにはいられない。

息子を殺したドイツ兵じゃないかもしれないが

息子を殺したドイツ兵かもしれないし、

少なくとも息子を殺したドイツ兵の仲間なのだから。

 

だからって誰かを傷つけていい理由にはならないので

赦せない相手とは距離をとるしかない。

いつか相手を受け入れらるようになったら

相手と話してみるしかない。

 

BBAの武士道修行~目指すべき師がひとり増えた

 

 新渡戸稲造氏の「武士道」を読んでいらい

自分の心の柱に武士道の精神を置くことにして

日々修行に励んでいる。

 

この映画をみて

実際に武士道を戦争の混乱時でも

実践していた松江氏の存在をしり

目指すべき「生き方」がクリアに見えた。

松江氏が「師」のひとりに加わりました。

 

今のところ

ルートヴィヒ・グッドマン医師と

松江豊寿師を「師」としております。

 

実在した、素晴らしい人物たちを

心に常においておこうっと。

 

この映画をもっと多くの人に見てもらいたいっす。

では、また~☆

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村

 

コナン

 

韓流LP