謎の感染症が蔓延して、人類滅亡の危機にある中
人はどうやって家族を守り、何を信じどう行動していくのか?
コロナと闘う今だからここそ深く考えさせられる映画です。
カタカナな邦題よりも
そのまま英語表記の方がわかりやすい映画です。
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It comes at night
人類滅亡、世界の終り、終末のシナリオとは
こういったモノになるのかもしれません。
- イット・カムズ・アット・ナイトのあらすじ
- 映画冒頭の描写が世界の終末を暗示
- ウィル一家によりポール一家に起きた変化
- 善き隣人は幻か? 恐怖そのものが幻か?
- ドアを開けたのは誰か?
- 「それ」は何を指しているのか?
- 恐怖にのまれて戦うべき相手を間違えてはいけない
イット・カムズ・アット・ナイトのあらすじ
謎の感染症で人類滅亡危機にある中
夜にやってくる「それ」の感染から逃れるため
森の中の一軒家に隠れ住むポール一家
一家は徹底して
家族以外の人間との関わりを断ち
父のポールの強いリーダーシップの下
妻サラと17歳の息子トラヴィスと愛犬スタンリーは
この状況をなんとか生き抜いて生きた。
そんな一家にある夜
ウィルという男が侵入し、
ポール一家に助けを求めてきた。
水や生活できる場を探して
80km先の村に妻と息子をのこして
ココまでやってきたのだという。。
鶏と山羊を持つウィル一家を
ポールは向かい入れることを決める。
ただし「それの侵入を防ぐため夜入口の赤いドアは常にロックする」という
この家のルールに従うことが条件の受け入れだった。
はじめは協力しながら
うまく共同生活をしていた2つの家族だが
ある日、夜に赤いドアのロックが外され
愛犬が何者かに外傷を負わされ遺体が放り込まれたことを機に
2つの家族に溝ができ、次第に大きくなっていく。
2つの家族は
お互いに家族を守るために
それぞれに決断をする。
it が示す「それ」とは何なのか?
なぜ「それ」は夜にやってくるのか?
感染したら他に方法は無かったのか?
映画冒頭の描写が世界の終末を暗示
映画の冒頭に鍵になる描写が2つあります。
1つはポール一家の息子の部屋に飾られている絵画
カメラがパーンしながらこの絵をじっくり捉え画面に大きく映し出します。
その絵は印象的で「ペストと魔女狩り」を思わせるものでした、私には。
調べてみると、この絵画は
ブリューゲルの「死の勝利」だそうです。
ブリューゲル・「死の勝利」 プリキャンバス複製画・ 【ポスター仕上げ】(8号相当サイズ)
この絵こそ
この映画の基礎でしょう。
2つ目はポール一家サラの父の死
ポール一家は実は映画の始まりでは4人家族でした。
4人と愛犬1匹
でも同居していた妻サラの父が
感染症にかかり寝たきりに…
そしてポールとサラは決断するのです。
残された家族を守るため
感染者である年老いた父を殺し
遺体を焼き払い埋葬することを。
父ポールが冷静に淡々と義父の始末をする中
息子のトラヴィスは父が祖父の顔にクッションをあて
銃で撃ち、森に掘った穴に遺体をいれ燃料をかけ燃やす姿に
動揺しショックを隠しきれない様子
サラはただただ辛そうに泣いていました。
ポールやサラはいったい…
これまでにどれほどの地獄をみてきたのでしょう?
そう思わずにはいられないシーンでした。
この一家が森で隔離生活をし
徹底的に気を付けていたにも関わらず
家族のひとりが感染したということが
冒頭ではっきり描かれているのです。
ウィル一家によりポール一家に起きた変化
「死」と闘うことが一家の目的であり信念にもなっていたポール一家
- ポールは家長として妻と息子を守る事
- 妻サラは夫と協力して息子守る事
- 息子トラヴィスは家族で生き残る事
こうして常に「死」との闘いに全力を注いできた家族に
ウィル一家の同居は変化をもたらしはじめていた。
ウィルの若く美しく明るい妻、ウィルの幼く可愛い息子
この2人の存在はポール一家に「緊張の緩和」をもたらしていた。
特にトラヴィスはウィル一家の
無邪気な家族だんらんに惹かれていて
彼らの部屋の側で彼らの会話をこっそり聞いていた。
それ以外にも漏れ聞こえる
ウィルと妻キムの夜の営みが
ポールとトラヴィスの何かを変えつつあった。
ポールは自分の支配する「家」という空間に
もう一人のライバルとなる男の存在を感じ始めているようだったし
トラヴィスはウィルの妻を女性として意識してしまうように。
善き隣人は幻か? 恐怖そのものが幻か?
この映画で描かれている世界には
もはや「感染症になったら死」という先しかなく
治療方も治るという希望も無いようでした。
でも本当にそうだったのでしょうか?
感染症の症状が出た人を
次の感染を恐れ、症状が出て即座に殺していった結果
「治療」という戦う道を人類は捨ててしまったの?
本当は「死」以外の可能性も多いにあったのでは。
ただ感染症に「治療」で戦うには
大勢の人々の協力と団結が必須で
それができない状態では感染者を消していくしか
選択肢が無くなってしまう…このことは心にメモしておくべきかも。
ポールは息子にこう教えます。
「どんなに善人に見えても家族しか信用しちゃだめだ」
ウィル一家への疑惑が大きく膨らみ
銃を手にするポールに動揺する息子に対し
母は言う。
「賭けはできない・・万全をきさないと」
彼らは本当は善人かもしれない…
そう信じることは「賭け」であり
一か八かの可能性に家族の命をかけるわけにはいかない
そもそも彼らは他人だと母は息子を諭す。
善き隣人も幻想?幻?そうであってほしいという希望?
じゃあ、一家を覆い尽くす「恐怖」そのものも幻かもしれない。
ドアを開けたのは誰か?
ドアを開けたのは誰か?
どうしてドアが開いていたのか?
可能性があるのは
ウィル一家の息子アンドリューと
ポール一家の息子トラヴィスのどちらかだろう。
ポールはウィルの幼い息子が夢遊病ではないか?と
悪夢に支配されつつあったし、彼は悪夢の中で
よく森をさまよっていたから…可能性高いよね。
でも、私の考察は全く別にあるのです。
あの赤い扉はポール一家とそれ以外を断絶する城壁のような存在で
ウィル一家を受け入れた時から
城壁は崩れ始めていたのかもしれない。
ポール一家は祖父の死からはじまり
ポールが部外者を躊躇なく消していき
「死」に追われている状態だったけど
ウィル一家は幼い息子に、
この状況下でも夜には夫婦の営みがあり
「愛と生」が溢れだしていた。
あの赤いドアが開けられていたのは
城壁の崩壊でもあり、
ポール一家の「油断」の象徴のように思えるのです。
「それ」は何を指しているのか?
夜にやってくる「それ」
感染症が夜やってくるってのは考えにくい
感染症に昼夜なんて関係ないから
現にポール一家の厳しい「夜の施錠」の掟の中で
祖父は感染したわけだしね。
「それ」は夜になると襲ってくるんだから…
悪夢だったり恐怖だったり
人間の本能的なものだったり
感染症の迫りくる「死」しかない
世界に生きることの「虚無感」だったり
すべてを飲み込んでしまう「虚無」そのもの
なんじゃないですかね。
恐怖にのまれて戦うべき相手を間違えてはいけない
2020年、世界は新型コロナウィルス感染症と
戦い続けている。
だからこそ、この映画でみたように
恐怖にのまれて戦うべき相手を間違えてはいけないと思う。
疑心暗鬼に囚われて
絶望の中で目に見にはいったモノすべてを
消していってもずっと地獄の中だ。
こんな時こそ「禅」の心を
すべては同じひとつの存在で変化し続けているだけ
恐怖は単なる概念にすぎないし、
死も変化の一部で通過点。
恐怖にのみこまれて
「義・仁・礼・誠・智」を失くさないように。
φ(..)メモメモ
では、また~☆