プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【映画】来る~感想:日本の信仰・思想・社会から描く「カラマーゾフの兄弟」的な作品

来る

松たか子さんはじめ、役者陣が役にぴったりはまっていて

めちゃくちゃ引き込まれたホラー風社会派作品です。

日本の信仰・思想・社会の暗部を「カラマーゾフの兄弟」的にあぶりだしている…

 

 

個人的に2歳の娘サチを演じた女の子が心配になった作品です。

あの子…凄いよ!

エクソシストのリーガンに次ぐ逸材かもしれない…

 ⇓

来る

来る

  • メディア: Prime Video
 

 

この映画が描いているのは

日本人が抱える昔からの信仰や思想、社会の闇と

現在の政治やメディアによる情報に騙され踊り乾いた陽気さに包まれつつも

実は社会の貧困や余裕のなさをみんな 肌で感じ取っていて

人も社会も家庭も全部のバランスが崩れてガタガタになっている姿。

 

そして常にそういった大人たちの余裕の無さや歪みの犠牲になるのが弱き子供達。

 

 

映画「来る」のあらすじ

来る DVD通常版

 

田原ヒデキは恋人カナを連れ

祖父の13回忌で実家に帰省する。

 

結婚を約束したふたりを

ヒデキの実家では温かくむかえるが

家族や親せきづきあいに慣れていないカナは

田舎特有の人付き合いの雰囲気に動揺を隠せない…

 

そんなカナの心細さにまったく気が付かず

既に『嫁』としてカナに家の手伝いをするように強いるヒデキ…

 

ヒデキの実家での親戚集まっての会食の時に

この地方に伝わる子供をさらう妖怪・邪神のような存在の話が出る。

ヒデキの同級生の女の子も10才くらいの時に姿を消したという…

その女の子と仲が良かったと言われるヒデキだが

彼女の名前も思い出せないでいた…

 

その後ヒデキとカナは結婚し念願の子供を授かる。

ヒデキは生まれてくる子供の為に

子育てに便利な地域にマンションを買い

自分の理想の家族・生活を実現していく。

 

そんなある日、ヒデキの会社に「チサ」と名乗る女性が訪ねてくる。

だがヒデキは知り合いに思い当たる人物はいないので不思議に思い

会社の受付に行くと…誰もいなかった。

この時、チサとの取次ぎをした後輩の高梨が謎の病に倒れ入院、

原因不明のまま亡くなってしまう。

 

高梨を見舞いに行ったとき

ヒデキは高梨からの思わぬ言葉を浴びせられ動揺してしまう。

 

その後、ヒデキとカナ夫婦に無事に娘チサが生まれ

ヒデキは「イクメン」パパとしてブログを開始。

ブログはだんだんと人気になり、近隣のパパ友たちとも親しくなっていくのだが…

 

ブログで綴られるキラキラした生活とはかけ離れた家族になっていた。

外面ばかり、形ばかり気にして整えるヒデキは

妻にも娘にも向き合わず家庭は次第に荒れ崩壊していく…

 

それだけではなく、娘チサに異変が起きはじめる。

ヒデキの身のまわにりに不審な出来事が起きはじめ

ヒデキは子供の頃の記憶にある「邪悪な者」の仕業ではないかと考えるように

 

民俗学者である友人・津田に相談し、

オカルトライターの野崎を紹介され

ヒデキは野崎の知人である霊能力のあるキャバ嬢マコトに会いに行く。

 

霊視後、マコトに「奥さんと子供を大事にして、そうすればアレは来ない」

と言われたことに激高するヒデキ。

除霊もしないで、小娘にダメな夫・ダメな父呼ばわりされたことに激怒。

 

だが、ここからヒデキを狙う「アレ」は

その力をどんどん増していき

マコトの想像をはるかに超えた邪悪な存在が

一家に牙を剥く。

 

マコトの姉である日本最強の霊媒師・琴子が登場し

一家を狙う強大な邪悪「アレ」を祓う為

日本中の霊媒師を集めた「祓いの儀式」がはじまる。

 

日本の闇をカラマーゾフの兄弟的視点から描く

この映画を観ながら

「何かに似ている」とずっと思っていた。

後半になってやっとわかった。

 

この映画は日本の信仰や思想や社会の中の

人びとが目をそらしてきた暗部をカラマーゾフの兄弟的視点から描いている。

  • 信仰や死
  • 国家と国民
  • 貧困
  • 児童虐待
  • 親子関係
  • 夫婦・異性関係
  • 人のエゴと社会コミュニケーション
  • 形を保つために自分を犠牲にして生きること

国も社会も人も

表面だけ「幸せ」や「平和」に包まれながら

その内側はどうしようもないほど「渇き、飢えている」のだ。

表面の美しさを守るために

内側にどんどん「ドス黒い」何かが溜まっていく。

 

政治、社会、大人のエゴが

子供達を苦しめ犠牲になることを強いる。

「無実の子供達が流す涙」の現実に「それでも神はいるのか!」という

カラマーゾフの兄弟でのシーンが思い起こされた。

 

人間は遠くで何もしない神よりも

肩をそっと抱き、耳元で優しくささやく悪魔を選ぶ

というシーンも思い出した。

 

やはり、映画「来る」はカラマーゾフの兄弟なのだ。

 

自分たちの悪を正当化するため妖怪や邪神が要る

映画「来る」の中で繰り返し語られることの1つ。

人間が自分たちの悪行を正当化する為に

邪神を祀り、妖怪の存在を信じるようになったというのだ。

 

そうかもしれない

と、思ったんですよね…なんか妙に納得できたんですよ。

 

綺麗ごとでできた愛の存在の神と

その神に憧れそう在りたいと思う人間

 

んで、理想追う中で

否定して封じた自分の半身である「悪」の部分が

目を背けるほどうずくのかもしれない。

 

もともと1つのものなのに

2つの相反するものに分けることで

どうしようもない歪みが生じるんでしょうね。

 

他人は自分を写す鏡

この映画に出てくる登場人物はみんなどこか似ている。

目をそらしてきている部分が。

 

この映画に限らず、世の中のほとんどの人が同じ部分で似ているのかも。

自分の目に映る他人は全て自分の別の形なのかもしれません。

 

他人を自分が認識する時

結局は自分の中にある観念でしかないので

そもそも自分の中にあるモノのバリエーションの変形でしかない。

そういうことなんだろうなぁ。

 

他人と関わることで

自分が見ないふりしてきた『封じてきた自分』が

うずいていきて姿を現しちゃうのよ。

 

この映画はその点も物語の鍵になっています。

 

「祓う」ということは命がけの仕事

この映画の中でリアルに感じたのは

「祓う」という作業が常に「命がけ」であるところ。

たぶん、これ本当だと思う。

 

映画の中ではわかりやすく

火傷や傷などの外傷で表現されていたけど

実際は心臓発作など血の流れを操作されることで

命を落とす人が多いだろう。

たぶん、温度・エネルギー・磁力に関係しているはず。

 

やっぱり、数千円、数万円とかで

「霊能力者」の看板掲げて代々体に商売している人の

大半は嘘とか自己暗示の幻想に生きている気がする。

だって…数千円や数万円で命がけの仕事を請け負う気にならないもの。

でも、まープラシーボ効果もあるから

救われる人は救われるよね。

 

本物ほど隠れてひっそりしてそう。

じゃないと毎日邪悪な物と対峙しないといけなくなっちゃうもの。

 

私の経験と感覚からいうと

霊感的な「感覚」で見える、聞こえる、感じる人は多いけど

「祓える」人は極わずかしかいないはず。

 

この世界は変化する幻想なので

何を信じるかは、あなた次第です。

 

では、また~☆

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村