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BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【独女映画部】「ルック・オブ・サイレンス」~正義を掲げて人を攻撃したい人が溢れる今知るべき真実

お題「最近見た映画」

ルック・オブ・サイレンス

人の本質なんて人類誕生以来ほとんど変わっていない。

歴史は表面の形を変えて何度も繰り返しているし、

正義を掲げて人を攻撃したい人が溢れるネット社会の今こそ

私たちもみておくべきドキュメンタリー映画

 

 

この映画は先に公開された

アクト・オブ・キリング

アクト・オブ・キリング」の対になっているドキュメンタリー映画です。

 

1965年のインドネシアの大虐殺の当事者たちを追った映画で

アクト・オブ・キリング」は人を殺した側の人たち、

「ルック・オブ・サイレンス」は殺された側の家族、

それぞれの視点で描かれています。

 

私が観たのはこちらです。

 

 

これをみると

相当ショックを受ける人も多いと思います。

そのくらい痛みを伴う内容です。

 

特に「性善説」や「加害者の心の中にも反省や後悔の念があるはず」と

思っている人や「悪いことをした奴には天罰が下る」と思っている人には

とてつもなく残酷な現実を突きつけてきます。

 

なので観る場合は覚悟ももって観た方がいいです。

 

 

「ルック・オブ・サイレンス」が描く現実

2014年公開のデンマークドキュメンタリー映画です。

監督のジョシュア・オッペンハイマー

前作2012年公開「アクト・オブ・キリング」を含め

このインドネシア大虐殺の今と真実を世界に伝えるために

少なくとも2003年から当事者たちに

接触・インタビューを続けてできた映画です。

 

◆1965年インドネシアの大虐殺

 

インドネシア政府は軍に権力を奪われた。

軍の独裁に逆らう者は

組合員、小作農、知識人

すべて共産主義者として告発された。

 

わずか1年弱で100万人以上の「共産主義者」が殺された。

共産主義者とレッテルを貼られた多くの無実の人」が殺されたのです。

 

◆今でも加害者たちは英雄として国中で権力を握っている

この大虐殺で「殺人部隊」側にいた人々は

今も「国家を守った英雄」として国中で権力を握っている。

 

インドネシアでは今でも

家族を無惨に殺された者と

殺した加害者たちが

近隣住人として暮らしているのだ。

 

そして今でも家族を殺された人たちは

息をひそめるように

「神の裁きが彼らに下る」ことを祈りながら

ひっそりと暮らしている。

 

◆兄を殺された弟が殺人者たちに会い話を聴く

「ルック・オブ・サイレンス」は大虐殺で兄が殺された

2年後に生まれた弟のアディが

兄の死に関わる加害者たちをメガネ技師として

「無料の視力検査」を行うとして近づき

当時の話を聴いていく姿をカメラが追う。

 

「殺人者達に罪を認めさせたい」と立ち上がった弟

 

1965年の大虐殺当時生まれていなかったアディは

当時の加害者たちを追ったドキュメンタリー映画

アクト・オブ・キリング」を観て衝撃を受ける。

 

当時、殺人部隊として

何人も実際にその手で殺した加害者たちが

自慢げに当時の様子をカメラの前で語り

再現までしているのだ。

 

「殺された兄や、今も怯えて暮らす両親のためにも

彼らに罪を認めさせたい」

 

とアディは彼らに直接会い話をすることを監督に申し出る。

 

この時アディは「彼らにも罪の意識がある」と信じていた。

そして「彼らは心の底では罪を悔いている」と信じていた。

 

これが本物のドキュメンタリーだとわかるのは

アディの表情なのです。

これがリアルな表情だと思う。

もう怒りも悲しみも全部が消化しきれない程の量で湧き上がり

凝縮されて表情は「無」になるのだ。

 

今でも共産主義者は悪と教育されている

アディの子供たちが通う小学校でも

共産主義者は残酷で神を信じていない」

と教えている。

 

1965年の大虐殺当時のことも

共産主義者たちは将軍や軍人を目をくりぬき

酷い拷問をしては殺したと教えている。

だから共産主義者たちは最後には捕まり殺され

正義が勝ったという話になっているようだ。

 

今でも当時殺された「共産主義者とされた人たち」の

家族や子供も孫も公務員にも軍人にもなれず

いい職に就くことはできないと教師が子供たちに教えていた。

 

そんな息子にアディはそっと教える。

「真実は?」

「大勢の罪なき人が殺されたんだ」

 

アディも母から当時の真実を教えられていた。

「殺人部隊」と呼ばれる街のチンピラ青年組織が軍の支援のもとで

村人を殺して金も財産も妻も全て奪っていったことを。

 

殺人部隊のリーダーとアディの対談

 

被害者家族というコトを隠して

アディは当時の殺人部隊のリーダーへの接触に成功する。

 

72歳の老人は当時のことを聴かれてこう話した。

「たくさん殺して気が狂う者も多かった。

俺は犠牲者の血を飲んでいたから狂わずにすんだ」

 

他にも当時の様子を

 

「女の胸を裂くとココナツのように穴がたくさん開いている」

「犠牲者の血はすっぱく甘いんだ」

 

また信仰を問われた時はこういった

「殺人はイスラム教の預言者ムハンマドの意に反するが、

自分の敵は殺していいんだ」

 

自分の身元を隠して話を聴くアディだが

反省も罪の意識もない殺人者に

だんだん彼を責めるような質問を重ねてしまう・・。

 

自分を責めるようなアディの質問に

遂に72歳の老人はキレて「政治の話はしたくない」と

インタビューは強制終了した。

 

殺人部隊の司令官の言い分

アディがみた過去のインタビュー映像で

こう語っていた殺人部隊の司令官。

生き埋め、頭部切断などで

500人~600人をリストに基づいて殺した。

 

アメリカのために共産主義者を殺した」

アメリカからもっと褒美をもらってもいいくらいだ」

※驚くことにはっきりと本人がカメラの前でこう話したのだ

 

またこうも言っている。

「軍は民間闘争と呼んでいたし、そう見せかけていた」

「軍がやったとなったら世界がだまっちゃいないからな」

 

そして兄の死を指揮していた彼にアディは会いに行く。

 

彼と話してアディは絶望する。

アディが自分の兄が殺されたことを明かし

彼に罪を認めさせようと

「あなたは倫理的な責任から逃れようとしている」というと

 

相手は逆上し

「おまえはどこに暮らしている」

「お前がやってることは、生き残りの地下活動だ!」

と脅してきた。

 

実際に今も力を持ち

アディを殺すこともしかねない人達なのだ。

 

謝罪も反省もまったくない。

 

 

元殺人部隊のトップで現・地方議長

地元の有力政治家もまた兄を殺した殺人部隊の人間だった。

殺人部隊を指揮して手柄を立て

1971年から議会のトップにいるこの男はさらに強気で

自分を正当化していた。

 

アディが被害者家族であることを隠して

当時の話を聴くと

まず彼はこう話しだした。

 

「民間人の間から自然発生的に(大虐殺は)はじまった」

 

この言葉を聞いてアディは一気に彼を問いただすような質問をしてしまう。

そして自分の兄が殺されたことも。

 

それでも彼は胸をはってこういう。

「私は国家を守るためにやった。責任は感じていない」

 

兄を惨殺した2人の男とその家族

アディの兄を殺した殺人部隊の2人の男は

その様子をカメラの前で誇らしげに語っていた。

 

アディの兄の殺され方は特に残酷なものだった。

肩を切られ、

腹を切られ、腸が飛び出し

背中を切られ

それでも必死で逃げ家にいたところを

彼らが追ってきて「病院に連れて行く」と連れ出し

最後は川に連れて行き

ペニ〇を切り落とし、

のどを切って

川に突き落とした。

 

2人の男はカメラの前で

k当時を懐かしむように

笑いながら殺した時の様子を再現してていた。

 

驚くことに彼らは自分たちの偉業を

本にして残していた。

後世まで自分たちの偉業が知られるように、と。

出来上がった本を手に

妻を従えカメラの前で自慢げに見せていた。

 

 アディが立ち上がったころには

この2人はもう既に亡くなってた。

あのためアディは「自分たちの偉業本」を誇らしげに

紹介する時に横にいて笑っていた彼の妻とその息子たちを訪ねた。

 

息子たちにとって父は英雄で

妻にとっては・・・ぶちゃけ自慢の旦那だったのか?

妻も恐怖に支配されていたのか・・は、わからない。

 

ただ奥さんはアディの尋問(?)に対しては

「私は何も知らなかった」と言い通していた。

でも映像で残っているので・・・信じがたい。

ただ、罪悪感が彼女の中にあるのは私にもわかる。

 

それが対息子たちや

映画で世界にむけ発信されることでの対外的なものなのかは

わからないけど・・。

とにかく「間違ったことをした」意識はるようにみえた。

 

息子たちは加害者の子供であるという事実を受け入れても

認めてもいなかったけど。

 

女の頭部を中国人の店に持っていき脅したと語る老人

今回のドキュメンタリー映画では

ここの部分でさらっとしか触れていなが

当時、インドネシアに住む中国系に人達も

酷い目にあっていたようです。

 

アディが訪ねていった当時の暗殺部隊員の老人も

当時の話を武勇伝のように自慢げに語っていました。

 

その中で

当時、切断した女の頭部をもって中国人の店にいき

彼らを怖がらせたと誇らしげに語る様子が・・・。

 

アディが問い詰める中で

同席していた娘だけがアディに謝罪してくれました。

父を国に尽くした英雄と見ていたようですが

その行いの詳細はアディに聞くまで知らなかったようです。

 

正義という麻薬と性善・性悪説の答えがココに!

性善説vs性悪説の答えがココにある。

罪悪感を抱える悪党がいないこともここに証明されている。

 

人は神の教えも

正義の解釈も

自由自在に都合よく解釈するし

正当かするので

被害者が期待する

「加害者の中の罪悪感や後悔の念」が

幻想だと気が付く。

 

ここでもう一人アディが対面した人がいます。

「殺リスト」に名前があり

処刑場のヘビ川に連行されそうになりながらも

途中なんとか逃げ延び

今も生存している被害者が。

 

 

被害者側の彼も、加害者側の人も

当事者たちが口をそろえていった言葉があります。

 

「過去は過去だ」

 

みんながアディに過去を蒸し返すなと言います。

もうあんな状況はコリゴリだと言わんばかりに。

 

被害者側もなのです。

もう正義に嫌気がさしているのかもしれない。

 

アディは当時に生まれていなくて

インタビューした加害者は当時を生き抜いていることも

この「過去は過去だ」と思える根底にある差なのかもしれない。

 

魔女狩り然り、

このインドネシアの大虐殺然り、

正義の名のもとに悪を押し付けられ

処刑されていった人々の無数の命が意味するところは大きい。

 

救いはないけど真実がある映画でした。

 

では、また(;;)

 

 

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日本が世界の植民地を解放した

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嵐の前のインドネシア―1965年の「9月30日事件」前夜〈下〉 (東南アジアブックス―インドネシアの社会)

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