古代日本と古代ギリシャの「音」への認識が
とても近しい気がしている私です。
故に古代ギリシャを鏡として古代日本人の音への感覚を覗いております。
古代ギリシャの音楽観が記された「音楽教程」、
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”宇宙に響く音の大河”
我々はその壮大な「響きの河」の極一部しか聞くことも感じることもできない。
しかし、自分たちが奏でる音によって宇宙の響きに共鳴・共振はできる!
捉えることができる一部にある法則を知ることで全体を知ることも可能ではないか!?
と、ピタゴラスや古代のギリシャ人たち (私の解釈では古代日本人も)考えたわけです。
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音楽というのは「偉大な力」を秘めている。
我々が直接には見ることも、捉えることもできない
- 広大な宇宙(大コスモス)
- 人間の内奥に広がる小宇宙(小コスモス)
を音楽を通して、手元に引き寄せ+理解し+調和~干渉していくことが可能になる!
潜在・潜象界に触れ繋がることができる。
音楽を学び、宇宙に響く音を知ることで
我々は「意図的に宇宙に干渉・作用できる力を得る」
と、私は欲深い人間なんでこんな風に考えちゃいますが
古代ギリシャ人も古代日本人も「攻めの作用」というよりは
「人間(己)の内奥宇宙の響きの調和・調律のため」
に学ぶ意識の方が強かったみたいです。
古代の人々の心は壮大で清らかだったのかもしれない。
私の心も漂白しとかねば!
(つづく)