「佳書を読む」ということで『安岡正篤氏』に関する本を読んでおります。
東洋哲学の偉人つーか「日本の哲学の偉人」でありながら、
トートと同じことを説いているのが興味深い。
今日はこちらの本から、私の心にグサッと刺さった安岡先生の御言葉を紹介したい。
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こちらの「第一章:運命を拓く」の一番最初にある「宿命を超える」に紹介されている安岡先生の言葉
環境が人を作るということに囚われてしまえば、人は単なる物・単なる機械になってしまう。人は環境を作るからして、そこに人間たる所以がある。自由がある。すなわち主体性、創造性がある。
だから、人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。人間が出来ないと環境に支配される。
※p20より
「人間が人間たる所以」…”人間らしさ”ともいえる部分は何か?
多くの生命・生物は「環境に従う」のみで
それを「調和」とみるか「環境に支配されている」とみるかの違いはあるが
確かに、人間だけは「自分に合わせ環境を変える」ことをしてきているよね。
自然環境さえも自分たちの都合で大きく変えてきたしね。
人類史を見れば明らかなように「環境破壊⇒都市創造」が出来てきたんだから、
個人レベルで「自分の世界=私を取巻く環境」を整え、創造していくことはできそう。
『環境が人を作る』ってのも確かにそうだけど、
人はそこを超えてゆく力をもった生命…だよなぁ。
大自然に於ける「環境破壊」や「緑の再生」に挑んだ人達だって
人間にその力があることを証明してくれている。
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複雑な世界情勢の中、自然を相手に「環境の創造」を成し遂げた人が実在するんだから
「私が生きる」環境を整え、私が想い描く通りに作っていくのも「可能」なはず。
「環境のせい」にして、「環境に流されて生きる」ということは
人間として生きることを諦め放棄したことになるのかぁ。
人と機械の境目が無くなってきているように感じるのは、
この辺にあるのかもしれません。
『私は 単なる物や単なる機械 じゃない!』
なんだか、そう心の中で叫びたくなった私です。
安岡先生の講義がそのまま書籍化されており
時間を超えて、安岡正篤氏に直接学んだような疑似体験ができる1冊はこちら
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この書は安岡先生が全国各地の師友会の青年たちの為に
昭和36年7月に3泊4日の宿泊研修会で連続講義された時の講義録です。
元々は平成元年に「東洋哲学講座」と題して出版されたもので
かたい書名を改め復刻再版されたものだよ(^^)
『佳書に学ぶ』を実践したい方にお勧めです。
(つづく)