古代日本人の音の叡智が日本の伝統文化芸能の歌唱法や
祝詞や神事に受け継がれ「生きた智恵」となっていますが
古代からの日本人の音の智恵から我々は遠ざかって
しまっているのではないでしょうか?
古代日本からの偉大な智恵から「隔離」されてる、もしや我われ?
日本人独特の「虹色の声」や「豊穣な倍音」を大事にする
音の感覚・美意識はどうして薄れ非日常のものとなってしまったのか?
この点について、私にとっての「音を知る」参考書
⇓
こちらの解説によると
”明治以降、西洋の価値観が流入し オペラのような澄み切った声を美声とする
新しい価値観が植え付けられ日本中がこの流れにのみ込まれていった”からだという。
ああ!こういった流れ今もネットでみるわぁ
横文字やカタカナ英語使いの謎のインフルエンサー達が
人々をこれがこれからのトレンド、世界の動きに乗り遅れるな~って
「新しい価値観」へ誘っていくやつや~
まーちょっと違うけど(^^;
日本人の音感覚が変わったのは
西洋の音楽の価値観の流入×音楽教育 にあると私はにらんでおります。
私は音痴なので小中学校時代の「歌のテスト」めっちゃ嫌だったし
それで「音楽」の点数がつけられるっていう経験してるんで
綺麗な声、正確な音、正確なリズムで歌うのが
優秀な人と教え込まれちまったし、思い込んでおりました。
音楽、歌ってのは人から評価されるもんだ、と。
そんでもって音楽の才能ある者と才能無き者に人は分けられ
音痴の歌声は聞くに堪えないもので、周囲にとっては苦痛だと。。
しかし!古代日本人の智恵が私に示してくれたのです。
本来、日本人は神や自然と繋がるためにひとりで自由に歌っていたってことを!
そこにはカム界や自然と共鳴する音の響かせ方のコツ(技術)はあれど
他人と比較して優劣がつくものでは無いんだと。
もっと自由に感じたままに唄っていいんですな。
もっとひとりで自由に思ったままに言葉を音にのせて響かせればいいんですな。
逆にいえば「ことば」を唄う時は
言霊×音霊=事霊(現象化する)という点から
「使う言葉」「ことばで描く世界」に注意を払わねばなりませんね。
こっちのが重要かも、綺麗に歌うよりも何倍も。
ということで、
”自分の声で自由に歌う”& 言霊使いの日本人の感覚を取り戻しましょう☆
最近、私はお風呂でひとり囁くように歌っております。
日本の伝統音楽を色々聴いてみるのもいいね。
受け継がれし音の叡智がそこにあるので。
音を揺らし、うねらせ、豊穣な響きで空間を揺らせ~
濁声、かすれ声も大歓迎や~
(つづく)