「量子」という考えをこの世にもたらした、その始まりに何があったのか?
プランクはどんな研究の中で「エネルギー量子仮説」を見出したのか?
本日は「量子」誕生に至るプランクの研究を覗いていきたくぞ~
無知な私に「量子論の世界」を優しく案内してくれる1冊
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現代科学の智の歴史を追う中で、「なるほど」と思うのと同じくらい
「???」と違和感を感じる覗いたら吸い込まれそうな穴(ブラックホールみたい)に幾つも遭遇している、私です。
とりあえず、量子論への寄り道を軽快に進めていきましょう♪
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【プランクが研究していた事】
物質を熱した時の”温度”と”その物質が放つ光の色”の関数を探っていた
なぜこんな研究をしていたかというと、産業界からの要請があって
『溶鉱炉の中の鉄の温度を正確に知る方法を探す為』←これが目的
すべては良質な鉄を創る為のことなのです!
良質な鉄をつくるためには、
溶鉱炉内の鉄の温度を正確に把握し、制御する必要があったのですが
数千度に達する高音を測定できる温度計など当時ないわけです。
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では実際に当時はどうやってその温度を見極めていたかというと
『溶けた鉄の色を見て、職人的な経験や勘をもとに判断していた』のです。
安定して大量に良質な鉄をつくって儲けたい産業界は
こんな職人頼みの不安定な生産体制ではあかん!と思ったのか…
『熱した物質の温度と光の色の関係をもっと正確に、理論的に知りたい』
と要請をだし、多くの物理学者がこの研究に取り組んだという。
う~ん、ここでさっそく私は「穴」つーか「思考の沼」にはまってしまった。
『職人の経験と勘』⇒これはそう簡単に数式化できるようなものなのだろうか?
- 熱した物質の温度
- その熱せられた物質が放つ光の色
「対象物質」×「温度」×「放つ光」だけでいいのか?
もっと見えない部分の色々を感じ取って判断=職人の勘じゃね??
でも、まー「そこにある一番影響力が強い法則(性)を知りたい」って気持ちはわかる。産業界の要望も納得できる。
ここで私が「沼った」のは
我々が科学(法則性)や数学(数字・方程式)の発見・智に頼り過ぎて
己の勘(感覚)を磨くことを怠った結果、
もっと現象の内奥~潜象にある「そうなるまでのカカワリ」の大部分を見逃してきてしまっているんじゃなかろうか…という点なのです。
私の推測では、縄文人は人間よりも「自然より(精霊)」な存在で
本当の意味で大自然と一体の「神人」的な能力と感覚をもっていたんじゃないかと。
本当に第三の目(松果体)で潜象のエネルギーの渦を視ていたんじゃないか、と。
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聞き取っていたんやないかなぁ。
その感受を受けての「ひふみ祝詞(ウタ)」とかだと思うと
今に受け継がれていることが胸アツです。
(つづく)