「数奇(すう・き)」⇒「数寄(す・き)」へ
今の日本に危機感を感じてる「心ある日本人」の皆さん、私もです。
そんな中で政財界の権力層の腐敗・堕落・売国奴・国賊にどうやって個々の心ある日本人が向かっていけばいいだろうか…と悩み動けずにいる同志の方に是非とも読んで欲しい1冊がある。
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この1冊は特にオススメですが、
安岡先生の著書はほかにも素晴らしいものばかりです。
で、「命(めい)は数(すう)である」という先生の指摘について触れてきました。
更にその「命数の極めて常識を超えたものを数奇(すうき)という」と。
「命」という、その生命・存在~この世界(宇宙)にある「必然的・絶対的なもの」
そこには「複雑微妙極まりない因果関係=法則性」があって、それを「数(すう)」というわけです。
んで「数奇」というと、どちらかというと「悲運・悲劇的人生」を指すようなのです。
「数奇な運命」「数奇な人生」「数奇な出会い」と聞いてどんな印象を受けますか?
安岡先生も「数奇=命数の極めて常識を超えたモノ」っていってるので、我々の理解・想像を超えたモノに「流される」「支配される」という感じから「悲劇」「悲運」的な受け止められかたしているのかな、と思っております。
でも、だからこそ安岡先生は「命を知り、数を知り、流されない・支配されない」私・人生・在り方・生き方を得なさいとおっしゃいます。
それを「自主性を取り戻し⇒創造性まで高めよ」って話で前回触れました。
今回は私が「数奇」を知らべていて出逢った「数寄」という言葉からの学びをここに記しておこうと思います(^^)
「数奇(すう・き)」というと、我々には理解できない・常識を超えたどうしようもない流れや力の作用を感じてしまいますよね。
でも、その「数奇」に流されないで逆に「こちらから数奇に寄り添って往き、そこにある想像を超えた世界を楽しんでやろう~」という人たちが古の日本には居たのです。
そんな方々の精神は今も日本と日本人に受け継がれているのです。
「数寄者(すきもの)」という言葉聴いたことありますよね!?
(今は「好き者」という字でも表現されているかも)
この「数に寄る」の意味が凄いんです!
【数寄(すき)】
意味:風流・風雅に心を寄せること
【数寄者(すきしゃ)】
意味:芸道に執心な人物の俗称
(すきもの)=物事を深く愛好するひと
つまり「数に心を寄せ、数を理解する」には「どんな道(芸道)」でもいいからそこを深く追究していくことで到達できるというわけです。
まさに安岡先生がいってた「盡心」に繋がる!
音楽や絵画、踊り(舞い)などの表現の道、
武道・茶道・華道・歌道・古神道など深く己の内を向き合いながら身体表現を成す道、
こういったことは「数奇から数寄への道」なのですな。
日本語って面白い。
(つづく)