謀略が集中しているという「1937年」に何があったのかを見ていく。
日本軍と蒋介石国民党軍を戦わせ、両軍を疲弊させた後に覇権を奪う毛沢東(中国共産党)の謀略が如何にしてその導線を引いていったのか?
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1937年に何が起こったか?
7月7日 盧溝橋事件(劉少奇らが日本軍に発砲し、戦端の糸口を仕掛けた)
7月29日 通州事件(在留日本人数百を惨殺し、日本を怒らせることを狙った)
8月13日 上海事変(無差別殺戮し、日本は防戦。日本の世論は激怒)
12月10日 南京事件(国民党軍は逃げ去り、南京市民は日本軍入城を歓迎した)
これら一連の謀略によって日本は戦線を拡大させてしまった。
ほくそ笑んだのは毛沢東だった。
日本人の怒りが爆発したのは「通州事件」。
この虐殺事件の加害者と被害者を まるで逆にして捏造されたのが「南京虐殺事件」だとも云われている。「通州事件」の目撃者によるその残虐行為は凄まじいものがある。
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この本の説明部分だけでも、その凄まじい光景が目の前に現れてくるようだ…
日本国民の怒りとは反対に、日本政府は「船津平和案」を策定する始末だったという…これが取り返しのつかない事態へと発展してゆく。
日本政府の判断ミスが常に大きな禍となって、後の日本に襲い掛かってくるのは今も昔も全然かわらんのですな(--)
虐殺されてたのは日本人なんだよ。
戦後も日本国内で「第三国人=特別扱い」で日本人を虐殺し、奪い盗み暴力略奪の限りを尽くしてきたのが「在日〇〇人」なんだよ。
詳しくは、こちらを読んで欲しい。
戦後も日本人は日本国内で他国人に 残虐行為をされ続けてきたのだ。
日本ばかりが国内外でここまで虐げられ、我慢してる必要ある⁉
ここで一旦 1937年の振り返りは終わりとしよう。
この1年を見つめるだけでも 疲労感が半端ない。
無惨に殺された日本人の魂に祈りをささげる。