とことん「いいように利用されまくる日本」という姿が見えてきていますが、ここは「痛みに耐え」更によ~く歴史を見直してゆきましょう。
毛沢東=中国共産党の謀略が集中しているという1937年に何が在ったかを前回見直してきました。
7月に盧溝橋事件⇒通州事件⇒8月に上海事変と 謀略側の殺戮が続いたわけですが、この事に日本政府はどう対応したのかという点を見てゆきます。
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大勢の在留日本人が惨殺された「通州事件」
此の事件は日本のメディアが大きく報道した為、日本中が激怒したという。
報道側も「暴支膺懲」の特大文字で紙面を飾り、国民に訴えかけていたという。
※膺懲=征伐すること
そんな中で日本政府の対応はどうだったか…というと、
ところが日本政府といえば、船津和平案を策定する始末。これは、満州事変以後、日本が北支で得た利益の殆どを放棄しようという和平案だった。
日本人の「善意」はワルの前にころりと欺された。
まさか1949年に毛沢東が天安門で人民共和国なる独裁国家を構築するとは!
日本の無作為と愚昧な外交と宣伝下手が結果的に、此の独裁国家成立に手を貸したのだ。
日本の政治判断のミスが「とんでもない結果」を招き、日本は現在もその時「国家成立」に手を貸してしまった『その国』にいいように利用され苦しめられ続けている。
更に信じられない「日本のお人好し対応」がこの続きに書かれている。
日本はC国人の本質を理解できていないのだ。
我々とはまるで違う常識を持つ民族なのだ、たぶん理解し合うのは無理だろう。
倫理・道徳観や「恥を知る」という部分が大きく日本民族と違う、それが彼らなのだ。
過去の政府の失敗をそのままにしてはいけない。
過去から学び、今から「取り返す」べきなのだ。
今、今から我々は何をすべきか、それを考えることが大事。
(つづく)