プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【深夜映画部】「イミテーション・ゲーム」感想②1930年代に既にコンピューターと人工知能の原型ができていた?!

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チューリングの偉業に触れて天才の凄さを肌で感じる

コンピューターの元が計算機であり、演算速度を格段にアップし

そこに人間の脳の思考能力を足したものがコンピュータであり

人工知能だと思っていたプロ独女みつまるです。

 

 

 

この辺がグルグルしていて

モヤモヤする私です。

 

 

コンピューターが計算がめっちゃ得意なのもわかるし、

計算して答えを出すことにおいては人間以上なのも納得している。

 

人工知能の部分が私にとってはぼんやりしているのだ。

今わかっている情報データを元に

そこから計算して答えを出すこととも思考であり知能ともいえるが

私にとっての知能はどうも違うのだ。

 

過去の情報やパターンの分析か計算で出される効率的で確率の高い答えではなく

「人の知能」は『今までに無い発想による創造』や新しいパターンを創ることに

本当の価値がある気がするからだ。

 

「計算で導き出される精度の高い答えは結局は

人が判断に利用すべき1つの情報なんだろうな」

ってどこかで思っていたのですが

この映画でちょっと混乱することになりました。

 

 

 

 

 

 

 

第二次世界大戦の英国では既に戦略の中心にコンピュータがあった?!

 

私の想像していたよりも遥に進んでいました!

チューリングが1930年代が脳内に描いてじ

実際につくりあげた機械たちが(@。@;)

 

暗号解読装置についても

第二次大戦のあの時代に

ナチスの難解な暗号を解くために

膨大な計算を人間の天才たちよりも

圧倒的に高速にこなす機械をつくりあげているとは・・・。

 

でも驚くのはこの暗号解読後なのです!

 

なんと、MI6と解読チームによって

軍や政府も出し抜いて

統計データを元に計算機を使った

最善の作戦を摂るように情報を操作していたのです。

(※私の説明が下手くそすぎて伝わらない場合は是非映画本編を見てくださいね)

 

もちろん、コンピュータの出した統計からの回答を元に

解読チームとMI6のメンバーよる最終決定で決まるのですが

私の想像をはるかに超えてコンピュータの判断が中心なのです。

 

もっと闘いの戦略や作戦って

人の知識と経験と頭脳による勝負だと

思っていたんですよ。

もっと心理学的というか。

 

でも実際は既に第二次大戦中から

私たちはコンピュータに大きく頼っていたんだなぁと。

 

何度も言いますが

映画で確認してみてね。

 

 

チューリングはこの時既にマシンを人工知能扱いしていた

イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密(字幕版)

 

特に映画でのカンバーバッチ演じるチューリング

自分の組み立て創るマシンを既に「人工知能」として扱っていたと思います。

 

だってね、完成した暗号解読装置にね・・・

初恋人であり今は亡きクリストファーの名前つけて呼ぶんだもの(;;)

 

そして最後のシーンでもさ

彼が化学去勢薬の副作用でどんどん犯されていく中でも

自分の仕事でありコンピュータの制作をやめないのは

この思考する計算機がチューリングにとっては理解し合える友人であり

家族でありパートナーでもあるのです。

 

計算できる問題の解決においては

彼のつくるコンピュータは天才の脳をもしのいでいましたしね。

 

 

「機械は知能を持つのか」チューリングテスト

 

機械の計算力、解答力を認めつつも

チューリング自身が

「機械が知能と呼べるかどうか?」を計るテストをつくりだしている。

 

人間が機械を介してキーボードによる打ち込みとモニター表示によって

モニターの向こうの相手と対話する。

その相手を被験者が「人」だと認識すればその機械は「知能」と認定される。

 

結果としては知能認定された機械はゼロだった。

結局は機械はプログラムによって言葉を並べていたにすぎず

人間に人間と認めさせるまでには至っていない。

 

 

人と人はプログラム通りにいかない、

そのズレと微妙な機械にリズムがひいては自然な印象となる。

不自然で不完全な部分が無いと人の創造する知能にはなれないようだ。

 

 

今の私たちは自分の脳と機械のどちらで思考しているだろう?

 

スマホに話しかけ

スマートスピーカーに話しかけ

容易に結果を得る現代の私たちはどうなんだろう?

 

機械に思考の大部分をまかせて

徐々に自分の脳をデジタル機械で外付けのハードにしていっていないだろうか?

 

私たちが機械に質問するほど

機械やそのプログラムにデータが集まり

どんどん機械側が賢くなる一方で

私たち人間の知能は下降していないだろうか?

 

コンピュータが加速度的に賢くなる、

その速度で私たち人間は思考力が奪われていないだろうか?

 

私たち人間に残るのが

感情だけで喜怒哀楽のモンスターになり

野生に還っていくようなことにならないんだろうか?

 

 

我思う、ゆえに我あり

 

この言葉めっちゃ実は壮大なんですよね。

「考えるからこそ人間」というだけでなく

デカルトがすべての学問、書籍を読み漁った後に

それらをすべて疑い自分で実際に世界をしる旅に出て

最後に出た言葉ですから。

 

 

私たちにもアラン・チューリングデカルトとほぼ同じ「脳」が

備わっていますからね。

とことん使いこまないと!

 

私が思うよりも「人の思考」は機械によって浸食されているのかも。

人間が機械を頼った結果であるけどもね。

 

では、また~3へ続く。

 

 

 

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精霊の箱 上: チューリングマシンをめぐる冒険

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