私はこれから「9の主」が語る内容により
「1」「2」と「偉大なるあの数」がどこにいるのか見えてきた。
アメンティーに座す主が「3~9」の数を名に持つ主であることで
ひっかかった方も多いはず。
「1」と「2」無しに急に「3」は生まれないからです。
1と2の主はどこかな?って気になりますよね。
日本神話にしても神聖幾何学にしても
「1」が特別な数で存在なのは示されていますよね。
んで「2」はその「1」が創造の為に生んだ「はじまりの子」なんで
他の数字よりも別格で、1に近い神聖な数ってのもわかる。
でも、どこかに「在る」はずですよね。
では、どこにいるのか?
「9の主」がトートに語った話の続きをどうぞ。
⇓
※注意してよくお聞きください
「汝、超越せる処への道を見出すべく求めよ」
「上なる意識にと成長することは不可能ならず」
常に「上昇」「向上」するよう、主たちは口がすっぱくなるほど
くり返しトートに語っているよね(^^;
そのために人類は創られ、生かされているのだろうか?
次に続く言葉が特に重要です!
『故に、2が1となり、1がすべてと成りし時、汝は障害が取り除かれ、汝は道に於いて無碍と成り得るを知れ』
1が2を生み、2が3を生みと多様性~構造性~拡大性を見せていた「1の創造性」というのは いずれそのすべてを再び大統合する為のものってことですよね?
なぜ「1」が大拡大・大分散した後に大統合・大収縮するかというと
「1」自身が「成長した1」になるため、つまりは「変化する」為なんでしょうね。
最初に「2」を生み出した創造の始まりの時の「1」と
大統合により再び「完全なる1」に戻った時の「1」は
始まりの時の「1」とは違うものとなっているからです。
「汝は形あるモノより形なきモノにと成長せよ、汝の道において自由たらん」
なんか、この話…自分の内奥になるだろう「真っ白空間」を求めて
この本を読んだ時に示された話と似てるんだよなぁ…
人間の成長というのは、例えば人生80年時代だとして
”40歳(中間)以降からは、これまで積み上げてきた自分の認識を壊していく旅になる”
って有ったんですよ(確かこんな話)
この話に気付いた時に折り返してもいいのかも。
自分の幸福を追求するための人生なのに
殆どの人は外界からの圧力や干渉、支配によって
内を充実させることよりも
家の外壁や城壁を高く積み上げることに必死になってしまう。
そうして家の中(内)で安心して幸福を味わう間もなく過ごしてしまう、んですって。
だから、「今」からは今まで積み上げた城壁や外壁をぶち壊して
窮屈な暗い間に閉じ込められていた自分を解放するんですって。
こうして今まできた道を戻り、「幸せを願っていた最初の自分」に帰っていくと
元の場所についた自分は「最初の自分ではなくすべてを知り成長した自分」となっており、知っているからこそ「内を充実させていける」んだそうです。
守・破・離 とは実は「個の人生」においても重要な姿勢なのかもしれません。
あっ、それで、重要な事を書き残しておくの忘れる処だった(^^;
9の主の「この話」を聴いて、私は「1を生んだ”0”の存在」を確信したのです。
(つづく)