プロ独女のライフハックブログ

BBA独女みつまるが「今」気になることを追いかけ綴る人生冒険日記

【トートと私】エメラルド碑板の旅(169)~上なる意識へと成長とは

私はこれから「9の主」が語る内容により

「1」「2」と「偉大なるあの数」がどこにいるのか見えてきた。

 

アメンティーに座す主が「3~9」の数を名に持つ主であることで

ひっかかった方も多いはず。

 

「1」と「2」無しに急に「3」は生まれないからです。

1と2の主はどこかな?って気になりますよね。

 

日本神話にしても神聖幾何学にしても

「1」が特別な数で存在なのは示されていますよね。

んで「2」はその「1」が創造の為に生んだ「はじまりの子」なんで

他の数字よりも別格で、1に近い神聖な数ってのもわかる。

 

でも、どこかに「在る」はずですよね。

では、どこにいるのか?

 

「9の主」がトートに語った話の続きをどうぞ。

※注意してよくお聞きください

「汝、超越せる処への道を見出すべく求めよ」

「上なる意識にと成長することは不可能ならず」

常に「上昇」「向上」するよう、主たちは口がすっぱくなるほど

くり返しトートに語っているよね(^^;

そのために人類は創られ、生かされているのだろうか?

次に続く言葉が特に重要です!

 

『故に、2が1となり、1がすべてと成りし時、汝は障害が取り除かれ、汝は道に於いて無碍と成り得るを知れ』

1が2を生み、2が3を生みと多様性~構造性~拡大性を見せていた「1の創造性」というのは いずれそのすべてを再び大統合する為のものってことですよね?

 

なぜ「1」が大拡大・大分散した後に大統合・大収縮するかというと

「1」自身が「成長した1」になるため、つまりは「変化する」為なんでしょうね。

 

最初に「2」を生み出した創造の始まりの時の「1」と

大統合により再び「完全なる1」に戻った時の「1」は

始まりの時の「1」とは違うものとなっているからです。

 

「汝は形あるモノより形なきモノにと成長せよ、汝の道において自由たらん」

 

なんか、この話…自分の内奥になるだろう「真っ白空間」を求めて

この本を読んだ時に示された話と似てるんだよなぁ…

 

 

人間の成長というのは、例えば人生80年時代だとして

”40歳(中間)以降からは、これまで積み上げてきた自分の認識を壊していく旅になる”

って有ったんですよ(確かこんな話)

この話に気付いた時に折り返してもいいのかも。

 

自分の幸福を追求するための人生なのに

殆どの人は外界からの圧力や干渉、支配によって

内を充実させることよりも

家の外壁や城壁を高く積み上げることに必死になってしまう。

 

そうして家の中(内)で安心して幸福を味わう間もなく過ごしてしまう、んですって。

だから、「今」からは今まで積み上げた城壁や外壁をぶち壊して

窮屈な暗い間に閉じ込められていた自分を解放するんですって。

 

こうして今まできた道を戻り、「幸せを願っていた最初の自分」に帰っていくと

元の場所についた自分は「最初の自分ではなくすべてを知り成長した自分」となっており、知っているからこそ「内を充実させていける」んだそうです。

 

守・破・離 とは実は「個の人生」においても重要な姿勢なのかもしれません。

 

あっ、それで、重要な事を書き残しておくの忘れる処だった(^^;

9の主の「この話」を聴いて、私は「1を生んだ”0”の存在」を確信したのです。

 

(つづく)

 

 

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