主も「例え話」するんか~なんか親近感湧く
『子どもとしての汝は、大人になりし時に来りし知識は持たざりき』
子供の(頃の)私は、大人になった時に得ている知識を未だ持っていない…至極当然のことですよね(^^;
だって、まだ知識も経験もそこまでに至っていないんだもの。
未知・未経験のことはわからないし、知らないのだ。
突飛なことを言いだした主は続けて、こう語る。
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諸サイクルの関係(繋がり)は「人間の人生」と同じだと⁉
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「どんな子供やねん⁉」
「私とどんな関係の子供として見りゃ~いいのさ??」
という戸惑いに対して、9の主はこう語る。
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『汝自身のサイクルをより成育せる子供として見、』
私のサイクルの意識を成長させてくれる、ありがたい存在ではないか!?
幼いながらも私にとって大事な協力者なのか。
更にこう続く
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つまり、上位の界から見た「我々の界(私の界)」というのも
また「時間の経過に従い向上する知識持つ者」ってことですよね。
意識の成長と共に「私」も上の界に移動できるのか?
それとも「私の界」が成長する時、上の界は更に大きく成長しているのか?
主たちの界のことは『大人にまで成長した子供として、歳と共に知識と知恵とが備わった者と見よ』だって。
こうして諸宇宙サイクルの関係を「人の人生」に例えてくれた主は
最後にこう「まとめ」てくれた。
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成長して「新たな智恵=新たな力」をもって
根源たる智恵の泉(源)へと返っていくわけですな。
成長のために「一」は大分裂し、
個々の存在に分霊され 個々に経験・知識・智恵を積み
再び大統合(大収縮)したら「めっちゃ成長した”一”」になっているわけね。
それはもはや一ではなく「新・一」「一ver.X」ということか?
自分の成長・拡大のために「今の自分をぶっ壊す、しかも粉々に」とか
なかなかにロックだぜ~「一」よ。
「一」も破壊(つーか分離)と再生を繰り返しているのですな。
(つづく)