生命とは「揺れ動く天秤」のようなものなのだろうか?
「生命の花」×「心」×スピリット(生命活力)が成す
生命・現象の創造に触れたところで
トートは我々「生命」が「生きている」とはどういうことか、を説きはじめる。
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むむむ…これはたぶん「二極性」をイメージしとけばOK?
”「極性」=軸性、ある軸に沿って差異を示すこと”ってあったんで
生命の二極性だとすると「陰と陽」、「正・反性」だろうね。
とにかく「その2つがバランスをとっている」のが生命・現象であって
その2つのカカワリが「形を成している」と。
「陰陽」「正反」のカカワリのもっと根源部分には「潜象(潜在)・現象(顕在)」のカカワリがあるんだと思われます。カタカムナの示しと繋がるね。
「死が近づいてくる時」=「極性の均衡が乱れし時」
だとトートは語り、「死」というのは
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「あっ!」
我々って一極性=「1’」になると死んでしまうんか!?
だから、まだまだ「1」と一体には成れない未熟な存在なわけかぁ。
ハジマリの「1」は完全調和による「1」で、
ハジマリの1から生み出された「ニ極」によって我々が生かされている、
とした方がしっくりくるかぁ。
ってことは、我々が「1つの極を失う」ってことは
「1」との繋がりを完全に失うってことか!?
二極性の均衡をとっている間は「不完全だけど1に近しい状態」、
超揺らいでいるけど「1の属性を保持している」感じかしらね。
陰だけになれば沈黙・静止で、
陽だけになれば焼け・燃え消えるのかも。
(つづく)