自分自身の時間の余裕と、天気を見計らって
徐々に「気になってるけど取りかかると大変なところ」の掃除を
徐々にはじめている私です。
ふぅー、お風呂の床の大掃除を完了~
そして気になっていた「ベランダの大掃除」も完了しました~
とても満足のいく仕上がりで「心も晴れ渡って」おります。
これ以前に、換気扇のお掃除もやっておいたし~
順調、順調☆
日本には「掃除の習慣」がありますよね。
自分の家、自分たちが使う・使った場所は「自分たちで綺麗に掃除しましょう」っていうのが、当たり前の感覚になってますよね。
これは古くから日本人が子供の頃から家庭でも学校でも「掃除の習慣」を大事に教え受け継いできてくれた賜物でしょう。
んで話をぐぐっと「日本人の心」や「日本の精神」にもっていきますと、やはり「掃除」=「空間場を綺麗にする、自らを綺麗にする」という行は「神ながら」の境地・神人合一に至る「第一歩」であるのだと思われます。
インバウンドとかの影響で、観光客が増えゴミで溢れかえった有名観光地の映像などを見ますと、日本人の掃除の習慣や「場を汚さぬ、場を綺麗に整える」ことを善しとし美徳とする心が如何に尊いものなのかってことを自覚させられております。
「善い」と思える状況にするために自然と動ける、当たり前に行動起こせるって大事なことっすよね。
やはり、人間の奥底には無意識に「善・悪」を判断できる「誠心・真心」があると思うんですよ。日本人なら「自然の美」や「環境場の整った美しさ」を「善し」と感じる心があるはず。
自分の家じゃないから、自分の街じゃないから、自分の国じゃないから「汚していい」、その家の人・その街の住民・その店の人・その国の行政が雇った清掃業者が掃除するべきだから、「私は汚していい」そんな心になってしまったら、それこそ「心の浄化」に大変な時間を要することになってしまう。最近このことをしみじみと感じております。
日本の伝統・文化・精神性により、日本人に「当たり前」に備わった
- 場を綺麗にする、汚れたモノを綺麗に洗う
- 物を大事にする
- 人を敬う
- 困った時は助け合う
こういったことを「善し」とする感覚や心を大事にしたいですな。
掃除をして「綺麗になった」物・部屋・家・空間場を見ると、自然とこういった方向に心が向かってしまうのです。
自分の内と外が「鏡写し」になっているならば、掃除することで心の掃除もできているってことっすよね。今の部屋、今の家、今いる空間が「あなたの心を写している」のかもしれませんよ。
ただただ、綺麗な場・整った空間場にいることが心地いい!
そう感じる心があるよね~
だから、自分でいつでもそういった「心地いい場」を創造できるってのが大事じゃないか、と。
いい正月を迎えられそうっす。
まだまだ「気合をいれて取り組む場」の掃除が残っているので頑張ります。