「老年期の魂」を見ていきますよ~☆
なんとなく「悟り世代」のイメージありますが
意外と人生エンジョイ世代のようです(^^;)
この世界に働いている見えない法則性を探るべく、
夜な夜な「不思議体験」を求めネット徘徊中の私です。
そこで見つけた気になった話
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この話をよんで、人生は魂のレベル上げゲームだとしたら
「私の魂のレベルは今どの辺かな?」
ってことが気になりまして、こちらをみつけた
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では魂レベル5『老年期の魂』の特徴を見ていこう~☆
(このレベルに行きたいぜ~)
成人期の人間関係の課題を終えて
「成人期の魂」の特徴で見てきたように
成人期は感覚が研ぎ澄まされ、高感度になり
「他人と自分の境界が曖昧に」なってしまうことで
他人の経験や感情も自分事のように感じてしまうんだとか…
そのせいで「相手のことがわかり過ぎるあまり」
人間関係で深い苦悩に陥ってしまう(;;)
それは精神的に追い詰められるレベルなんだとか…(恐怖)
しかし!この成人期の苦悩を越えた老年期は
他者との関わりや人間関係において新たな境地へ達するそうよ~(朗報)
①自分の存在意義を考え、他人に何かを教える
体験談を語るA氏によれば
”老年期は他人に何かを教える年代”
なんだそうです。
この老年期の人が「人に教える」という行為は
昨今の○○コンサルとか△△講師とかいう
謎の肩書を掲げ、高い授業料をとる人たちとは違います(^^;)
成人期まで複雑な人間関係を通して課題を乗り越えてきた老年期の魂の人たちは
”存在の意義の探究へ乗り出す”んだそうです。
「この世で私の存在する理由は何だろう?」と問い答えを探す中で
自分の経験や学びから、苦悩する人々を救う手助けに乗り出すんだそうです。
だから「自分がこれまでの人生で得たことを教える」んだって。
中村哲さんは老年期の魂の人だったんではないかな…と私は思っております。
(もしかしたら、もっと上の人かも)
でも、私が想像する「老年期の魂」ってこのくらい凄い人っす。
②「個にして全、全にして個」の境地へ
成人期の魂は「自分と他人との境界線が薄れゆくことで苦悩」してましたが
老年期の魂になると、その苦悩は「個にして全、全にして個」の境地へ至るそうです。
彼らは、自分も他人も何かより大きく
全体的なものの一部なんだと考える。
すべての人々の間にある密接な繋がり、
結びつきに気づいているのです。
※上記のブクマリンク先より
日々、他人との関わりの中で自分自身を見つめるし
この世のすべてが関連する1つの存在なのだと気付くらしい。
私はまだ全然この年代の魂まで及びませんが
この話を聞いて「なるほどなぁ」とも思ったんですよね。
私が相手を見る時
私が認識する相手の像っていうのは
「私の中にあるモノの寄せ集め」に過ぎないんですよ(たぶん)
自分の中にある範囲内でしか万物万象を認識・理解できないので。
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だから、私が相手がどんな人か認識しようとする時
実は私は私を見つめているともいえるんですよね(^^;)
Aさんはこんな表現をしている。
日々の他人との関わりは、
自分自身との関わりなのです。
この世の全ての人、すべてのものが
神の「部分」だからです。
人と人が話し合うことは
体の一部が別の部分と喋っているようなもの。
つまり神の独り言なのです。
※上記ブクマリンク先より
なるほど、私たちは神の細胞の一部(1つ)に過ぎないって感じですかね~
自分を他者を分ける境界線が無いことへの戸惑い期を抜け
この一体の境地に到達するんですなぁ…悟りの境地や~
と、ここまでの話では「悟った僧侶か!?」といったイメージですが
老年期の魂は「自分の人生を楽しむ」って能力も高くなっているようなのです。
禁欲的でもないし、すべてを赦す菩薩のような感じでもないのだ。
ここがまた面白いところだよね~
つづく