たぶん、哲学A君の「体験談」を聞くと
五智の1つを得るための鍛錬方法を知ることになる。
勉強することと思考することを同時に走らせ止まらないことが大事やね~
哲学A君は語り上手で、とてもわかりやく
「なるほど」とストンと腑に落ちる。
小さなことを難しい言い回しとかカタカナ英語で
こねくり回して大きくみせる人たちとは全く違うぜ~
BBAが深夜の不思議体験談 徘徊で見つけた哲学A君の話がこちら
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曼荼羅の解読に挑んでいる私にとって
非常に役立つ内容だった(ありがとう哲学A君)
そして、実はA君の悟りと同じことを
子どもの頃に「ある人」から教えられていたことを思いだしたのです。
第二の障壁:認知の個人バイアス
勉強をつづけながら
知識と経験の融合を意識的にはじめたA君。
第一の障壁「その知識は本当に正しいのか?」
をなんとか解決した後
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ふむふむ、認知バイアスの問題かぁ
でもこれって「私」である以上どうしようもないのでは?
そもそも「私が持つ知識と感覚と経験からしか、ものごとを認識できない」わけだし…
(だからこそ、他者の知識や経験から学ぶわけだし…∞混沌ループ)
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でも、こうして文字にしてみると「感覚」が「私フィルター」の鍵な気がしてきたぞ。
哲学A君の「認知の個人バイアス」ジレンマ
「私」「自分」である以上どうしようもない問題なのだ。
だが、A君は目的を見失わずに更に考える人なのだ。
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「狭い認識」や強い先入観や思い込みによる「認証バイアス」
を避ければいいんじゃね?
広い視野と知識を持てるようになればいいんじゃね?
(BBA私はこの時単純にこう考えていた…それしかなくない?)
哲学A君の素晴らしいところは
自分がぶち当たった問題に対しいて
必ず「結論」を出すところなのだ。
見習いたい、この姿勢…φ(..)メモメモ
哲学A君が最終的に出した結論
知識と経験の融合作業に立ちはだかる
第二の問題に対してA君が出した結論
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"「個人的バイアス」を認めることにした"
なるほどね~これ、BBAが先に述べていた「しかたなくね?」という
姿勢と似て非なるものなのです(^^;)お恥ずかしい私。
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・自分が「自分フィルター」を通して認識していること。
・自分の認識には「認知フィルター」が働いていること。
これらを、ちゃんと自覚・意識してモノを見るのと
そうでないのとでは大違いなのです。
しかも最後にはなんか重要っぽいことに気が付いちゃってるし…やるなA君!
こうして哲学A君は
自分の体験談をかなりながら
読者の思考・認識にも作用・影響を及ぼし
我々を引き込んで自分が見た世界へ引き込んでいってくれるのです。
私は「実相・空の世界に色をつけ、物語を描いている存在は誰?」
を追っているのですが、何となくA君を同志のように感じられて
嬉しく思っているのさ(‘v‘)
一般的には「どうでもいい」「くだらないこと」を必死で考える仲間発見って感じ
つづく。