どんどん難解になっていくなぁ…全部「無」や~
でも頑張って観自在菩薩にくらいついていこう。
さて、前回の「無苦集滅道」だけでも
相当理解するのに脳がオーバーヒート気味だったのに
またしても「えっ!?」と思う一節が…
無智亦無得を分解
無智、亦、無得
⇒智も無く、また、得も無い
智=智慧でしたよね
悟りの境地に行くための智慧
智慧無いの?!
得ることも無い…「何を?」
これだと何か重要な部分を見落としているような…
智慧と知識の違いとは?
智と知の違いって
「智慧」と「知識」の違いですよね。
智は悟りの境地(涅槃)に行くための「智慧」
知識は「知っている情報」ですよね
読んだり、聞いたり、見たりして「知っている認識」だけど
まだ「知恵」になっていない状態って感じ。
知っているけど「使いこなせてない」のが知識
実際に活用して行動に変換し、現実に変化の作用を起こしていない状態。
私の頭の中にある平面情報といった感じでしょうか?
智≠知
このことを踏まえて「無知亦無得」を見ていくと
2層の意味が見えてくるのです。
無智亦無得とは:2層解釈
①この世の真相は「空」なので
「智は無く、得ることも無い」
自我を離れて、この世界の真相「無常・無我」が理解できれば
そこに智は無く、無い智を得ることも無い。
②無智では得ることはできない
無明ではなく無智となっているので「無知」ではないはず。
そこで先ほどの智≠知を持って読み解いていこうと思います。
知識の状態の平面情報と
智慧にまで自分の中に落し込んだ「習慣的に活用している情報」との違い
そこを指しているのではないでしょうか?
”智慧ではない「見聞きした知識」では、真相を得ることはできない”
この世界は「空」であるということが
感覚的に落とし込めており、理屈を超えて理解できていないと
いつまでたっても涅槃に到達できない。
また、知識ではこの世界が「空」であることを
本当の意味での理解に到達することができない。
そう書かれているように今の私は理解しました。
知識を智に変換するまでが相当大変…(--)
でも不思議と
この世界は「空」で
お前が有ると思っているモノはみんな「無」だぞ~
って繰り返し言われ続けると
「不安」よりも「あっ、そうなの」的に心が軽くなる。