西尾先生の書籍を読もうと手に入れた「1冊目」から
数々の学びと心に積み重なる「重く苦しい」モノに向き合っております。
私が今読んでいるのは「こちら」
この本はGHQの洗脳工作に合致する歴史観を発する「昭和史」本などに対する、解体新書となっております。そこを踏まえての日本人への警告がぎっしり。
反日プロパガンダ本であろう「ジャパンズホロコースト」に対する、こちらの本と同じ姿勢できっちりと 反論してくださっております。
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西尾先生他3名の「現代史研究会」の皆様のお話にじっくり耳を傾け読み進めておりますが、『戦前・戦中・戦後のおける日本がこんな状況におかれていたのか』と心が苦しくなるばかりであります。
故に読むのに時間を要している次第です(;;)
日本人の常識がまったく通じないほどに、世界は謀略に満ちているし、腹黒い思惑で国々の駆け引きが行なわれております、「今も」。
この本を読んで「やっぱりそうだったか」と確信できたこともあるし、私に見えていた「裏で糸引く輩」よりも更に奥に操っているヤツがいたりと新たに視界が開けることも多々あり、の「おすすめの1冊」です。
第三章がそのものずばり、
”加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』は青少年有害図書”
というタイトルになっております。
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この本について、現代史研究会の4名が正面から反論をしております。
鋭い指摘で「加藤陽子氏の昭和史観」をぶった切っております。
特に加藤氏に対する西尾氏のこの指摘・言及は印象的で私の心に強く残っている。
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戦争を語る資格がないんです。
戦争を語る資格というのは、全国民が勇気と自己犠牲、無私と情熱、そして塗炭の苦しみと哀切の想い、悔恨と涙なしでは語ることのできない数多くのドラマを抱え、多くを語りつくせない、いわく言い難いものを背負っているのです。
したがって、歴史家が戦争の歴史を語る際はそれなりの慎重さと、それなりの度胸と、それなりの哲学と、そしてそれなりの深い人生経験が必要なんです。こんな安っぽい女学生のような感傷、薄ら寒い人生観で戦争の歴史を語っては駄目だとはっきり言いたい。
「歴史を語る資格」とても印象的内容です。
そして、戦後学術界はGHQの洗脳工作にとりこまれていたことを考えると…こうした日本は「戦争を好んだ国」「侵略戦争国家」「日本は悪」という印象操作・教育による洗脳が「立場ある日本人」によってすすめられてきたんだな、と実感し悲しみと怒りに震えてしまうのです。
加藤陽子氏は東京大学大学院教授という立場でこの本を書き、朝日出版より出版されております。そして、彼女のこの本は、栄光学園高等学校の一年生と中学校の全学年を対象とする講義が基本となっているものだそうです。教育の現場で、日本の子ども達に「あの時日本はこうだった」と語られているものなのです。
日本を囲む国々、日本に関わろうとする国々の「腹黒い計算・計画・謀略」にはあまり触れずに「日本=悪」の戦争史が日本の中高生の頭と心に刷り込まれてしまう…という恐怖!
2冊を読み比べるのが正しい姿勢だと思いますが、西尾先生たちが引用+指摘する中で知った内容だけでも 私にはもう充分で、とてもじゃないが「手に取って読む」気になれません。これが正直なところです。
日本が戦争したこと、日本が戦争に負けたことは事実です。
でも、その背景になにがあったのか?
世界はどんな状況だったのか?
各国の思惑や意図はどこにあったのか?
日本=悪とされた「東京裁判」は公正だったのか?
私は何をどこまで知っているのか、わかっているのか?
色々と不透明・不明瞭な部分に目を向け「確認してみる」必要があると実感しております。
「戦争を振り返る」者にも戦争を語る資格と同じモノが問われるということを胸に刻んで、この歩みを進める。