私の中で一度掴めたように思えた「ソコ・ソギ」の力のイメージが
変化し始めております…何が正解なのだろう??
潜象→現象への流れ
潜象から現象粒子が発生する「根源の物理」
それを、カタカムナ解読の先輩方は
『カムのソコ・ソギの力に基づく、フトマニのヒビキの物理なのだ!』という。
ソコ=六方に広がる→拡張・膨張(遠心力)
ソギ=六方から収縮する→収縮・凝縮(求心力)
これがカムのソコ・ソギの力で
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ソコ・ソギの力とはまとめ①で示した「カハ・イハ」を発する力と
そこで発生した正・反のマリが「アウ=重合」する力のこと
カムの「カ」→カハ→「ヒ」→「フマリ」→「ミ」→「イ」の発生までの流れ
この潜象→現象への物理(サトリ)は
この世界の万物万象働く物理の根底にあり、
すべてはこの根源の法則にしたがう「相似象」なんだ、と。
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う~ん、なんだかそんな気もする。
でも、私の中のミナカヌシがザワッとするのだ。
ソコ=外に転がり出る力・外に向かい転がる力+環境それぞれで転がる力
ソギ=外に向かいエネルギー発生+環境それぞれで発生する力
古語辞典で「ソコ」を調べた時
私のミナカヌシが反応したのは「其処」という示しだった。
ソコ=其処 ⇒ ソコがトコロになる
ソギ=其のトキとなる素・直前の「其のキ」
なのではないか…という思いが強くなってきているのです。
そのカムの力がソに向かい、ソに出て「ソコ・ソギ」が
「カの関わりの場」つまりは「アマ=時空間」を創るのではないか、と。
膨張・凝縮の作用は「ソギ」だけで示されているんじゃなないか、とも。
「禊・ミソギ」という言葉には2つの意味があって
- ミを削ぐ(身の穢れを祓い)
- ミを注ぐ(身に神力・神光を注ぐ)
ここ「ソギ」に生命の新陳代謝がすべて込められているんじゃないかしら。
この胸に湧くざわつきを抱いたまま
次のウタへと進んでいきます。
(つづく)