2004年、イラクで任務に就く米軍の爆弾処理班の話。
【映画 ハートロッカー~感想】
The Hurt Locker
※米軍のスラングで「苦痛の極限地帯=棺桶」を示すんだそうです
崩れ、荒れたイラクの街や砂漠の中で
爆弾処理に挑む隊員たちの約40日間の攻防が描かれております。
もちろん、常にその任務は「死と隣り合わせ」な状況に隊員たちを追いこむのです。
出来るだけ危険なリスクを避けようとする隊員たちに対し、新隊長は一人で危険に突っ込んでいき難しい状況でも淡々と爆弾処置をこなしていく。。
確かに、戦地で常に「死」を意識しながらの任務についていたら…心が壊れるか、心が壊れるのを精神側が防御するために「この状況に身を置くことを正当化(”善し”と)する」動きをするだろうな、とは思いながら観ておりました。
作中、軍医が若い隊員に助言していた言葉が印象的。。
『この状況を悲観的にばかり考えないで、楽しめ』
はっ⁉ あんたバカ⁇
(と、私は正直なところ思ったね)
ところが、この軍医の言葉をそのままに実行・実践している男が目の前に現れた!
それが新隊長(班長?)なのです。
たぶん、もう死への恐怖の感覚に晒され過ぎて麻痺してしまったんだと思う。
「命を懸けて闘う緊迫した状況」に晒され過ぎて、「極度の緊張感」という強刺激が麻痺した脳内では「快楽」に近いものを誘発するようになったんじゃなかろうか。
”国の為、人の為に命を懸けて闘っている”という「誇り」がまた自己肯定感を高め、そこに「危険に挑むほどに 快楽と満足」が得られるように身心が書き換えられてしまったのだろう。
ギャンブル依存症の人がいう所の「ギリギリを攻め、ヒリヒリした心地」を味わうが故に「脳汁が溢れる」ってやつじゃないだろうか。。
印象的だったのは、戦場での緊張感と強刺激に慣れてしまった「彼」が、帰国後の「穏やかな日常」「家族との平和な日々」の中では「心の満足」を得られなくなっていたこと。
平和な日常では 心が満たされなくなっちまうんか!?
戦争屋たちが「もっと、もっと」と私腹を肥やす私利私欲の餓鬼になり、そのせいで「平和を求める」「平穏な日々に幸福を感じる」人々の心まで変えられていってしまうなんて…。
戦争や闘いを求める人間がこうして増加していくまでに、この世界は捻じ曲げられているってこなんでしょうね。