映画「火垂るの墓」がネトフリで190各国にむけ公開配信はじまったことが話題に!
この話題っぷりを見て、私は思った。
この映画の世界公開に先手を打つために、あの「反日プロパガンダ本」が英語圏を中心に日本以外で出版されたわけか・・・・奴らめ。
⇓
この反日プロパガンダに対し、しっかり反論してくれている日本人ジャーナリストの本がこちら(こちらは是非とも日本人と世界の皆さまに読んで欲しい、必読の書)
⇓
何故今 アメリカが英語圏でこの本を出版するのか?非常に気になっていたのですが、この本を読み終えた私は
「また核を使った戦争(攻撃)をやるつもりだな、その為に核攻撃の正当化を人々の意識に植込みたいんだな」と嫌な到達点で納得してしまった。
んで、核攻撃を正当化するために…何で今再び「日本=悪」という印象を叫び、人々を巻き込みたいのかってところにまだ若干の引っかかりがあったんですよね。
でも「火垂るの墓」世界公開による世界中の人々のざわめきを見て、「これだ」と悟った。この映画の起こす影響力をみこして、先手を打って今再び「あの戦争・あの攻撃」の正当性を訴えたかったんだな、と妙に納得した。
高畑監督は「反戦映画ではない」「戦争の悲劇を訴えた映画でもない」とおっしゃっております。
そこで「火垂るの墓×岡田斗司夫氏」の解説動画を見て「はっ」とした私です。
映画のラストに「現代の神戸」の街並×夜景(戦後復興した日本の象徴)を見下ろしている兄妹の姿がしっかりと描かれている!
そういえば、映画の冒頭では兄は自分の死を見つめている!
岡田氏の解説とその中で盛込まれる高畑監督の言葉により、
この物語は「必死に生きたけど、後悔の念を持つ人物が天国にも地獄にも行けず、煉獄に囚われて、その中で自分の後悔が浄化されるまで『あの時』を繰り返している話なんだ」と気づかされました。
現代になっても兄は自分を許せずに、後悔を浄化できずにいるようです。
14歳だからね、「自分がどう生きるか」「自分がどう生きたか」を、戦争という社会情勢のせいにも、時代のせいにも、日本政府のせいにも、大人達のせいにもせず「自分がすべて選択して行動したこと、すべては自分のせいだ」と思えるまで、その人生を納得して受け入れられるまでまだ時間が必要なんでしょう。
原作者の実体験からきている物語だそうなので、原作者自身が今も妹の死の責任を背負い続けているから、「自分は善い兄ではなかった」という思いを抱き続けているから、原作に忠実に描いているだけなのかもしれません。
この自分の人生を、自分の生き方・在り方を「社会や環境や政治のせいにも、誰のせいにもしないで受け止める」っていうメッセージは「今を生きる私たち」へ衝き付けられているのかもしれません。
この監督と原作者の深い思いに「反日プロパガンダ」勢は気づかぬことでしょう、この先もずっと。
日本でも毎年金ローで放送してほしいっす。
国民皆が「生き方」「在り方」「日本社会の在り方」を考えるためにも。