このドキュメンタリー映画は心にズシッときます(;;)
生活のために懸命に生きて「何者にもなれなかった」大勢の”私”を
象徴するような一人の複製画工の姿を追った作品
【映画】世界で一番コッホを描いた男~あらすじ
中国南部にある大芬は世界最大の複製画作成の”油絵村”
1989年 香港の画商が20人の画工を連れてきたのが
この油絵村の始まり。
現在では画工の数は1万人を超え、
数百万点の油絵が この村から世界中へ売られていく。
その総額は2015年で6500万ドルを超えている。
そんな油絵村の一軒の画房の主・シャオヨンは
出稼ぎでこの村にやってきて20年ずっとゴッホ作品の
複製画を描き続けている。
独学で油絵をはじめ、テレビや写真などからゴッホの筆遣いを研究し、
今ではオランダの画商から月800枚の注文を受ける画房の主として
弟子や一家を生活を支えているのだ。
もの凄い速度でゴッホの複製画を仕上げていくが
それでも食事も寝るのも工房という日が続く。
そんな彼に1つの夢・目標ができた。
”アムステルダムの顧客の画商に会いに行き、
現地で本物のゴッホの絵画を見たい”
「お金が無いから諦めて」という妻を説得し
「絵の勉強になる、必ず収穫はあるから」と彼は目的を果たす旅にでる。
夢の旅に出かけた彼を待ていたのは
彼の「これまで」を打ち砕く ”辛い現実”だった。
その痛烈な現実を受け止め、
彼はこれからの自分の在り方を考え
ある決断をする。
◆20年間ひたすらにゴッホの複製画を描いてきた結果
シャオヨンは家が貧しかった為、
中学を1年で中退しなければならなかった。
彼の学歴は「小卒」、このことを涙をこらえ語る姿が印象的。
だから出稼ぎにきた油絵村で必死に
ゴッホの複製画を描き続けたのだ。
独学で油絵を学び、ゴッホを研究しオランダの画商にも認められたのだ。
彼はゴッホ作品とひたすらに向き合う内に
いつしか「ゴッホ」がとても自分に近い存在に思えてきたのだ。
”恵まれない境遇のなか必死に生き、ひたすらに絵を描き続ける”
確かに2人はこの点で言えば、とても似ている。
だが、ゴッホへの憧れと親近感から
オランダを訪れたことで
本物のゴッホ作品と自分の絵の圧倒的な違いや差を痛感し
更にはゴッホと自分が似ても似つかないことを悟る。
ゴッホは自分が見つめた本物の景色や人々を描き
そこに思いや情熱を込めていたが
ゴッホ作品(本物かは不明)を見ながら描き続けてきたのだ。
自分の絵を買ってくれる「オランダの画商」と思っていた人物も
実は「オランダの土産物屋の店主」だったのだ。
土産物屋の軒先で自分の描いた絵が並んでいるのを見て、
更にそこで自分が手にする報酬の10倍の値で売られていることを知り
唖然とするシャオヨン…
20年間ただひたすらにゴッホの複製画を描き続けた結果
夢のオランダに行き本物のゴッホに触れて見えてきたのは
絵描きとして”何者にもなれなかった自分”だった。
職業は?と聞かれると
「絵を描いている、世界的に有名な絵を描いている、ゴッホだよ」
と胸を張り答えるシャオヨンだが
次に返される質問でいつも言葉に詰まってしまうのだ…
中国のタクシー運転手からは「偽物?贋作?」と返され、
オランダでは「20年もゴッホを描いてるなんてすごいね、んで君のオリジナル作品は?」と返され言葉を失ってしまう。
そう、複製画師である自分はゴッホの影にもなれていないことを知るのだ。
「画家」芸術家として彼はこの世に存在していないに等しいのだ。
この現実に彼は酷く滅多打ちにされ、悩むことに。
◆辛い現実を受け止め、「今ここから」はじめる覚悟
シャオヨンの凄いところは
- 絵に対するもの凄い情熱
- 自分の境遇を嘆かない、他人を恨まない
- 家族や仲間、弟子を大事にし思いやる姿勢
- 絵描きとして20年間積み上げてきた「誇り」を打ち砕かれても、それを受け入れ「今ここから」また自分の道を進もうと決意
もの凄く純粋で高潔な魂の持主なのだ。
貧しさや悔しさに心を闇に覆われてもおかしくない中
この人はとても「まっすぐ」に前と向き、上を目指して生きている。
彼は「オリジナル作品」を描き始めた。
自分の目の前にある心揺さぶられる現実を描き始めた。
独学+ゴッホの複製ばかり、だったためゴッホ風の筆使いのままだし
デッサン力は怪しい感じだったがそれでも彼は「今ここから」動き出した。
いつか、彼が云うように
「50年後、100年後に認められるかもしれない」
本当にそうなるかも、彼には故郷と今と絵画への愛が溢れているから。
◆「汝が向上・成長すると目標も更に遠のく」
エメラルド板に刻まれたトートが師から聞いた言葉らしいですが
この言葉通りのことが現実に描かれたドキュメンタリーだった。
自分が必死に努力して向上・成長すると
自分から見える世界が広がっていくので
その分、目指していた目標も更に遠のいていくんだって。
そういった「本物の目標」を持ち、さらにそこに向かう人の姿を
このドキュメンタリー映画によって見ることができたことに感謝です。
懸命に生きてきて、ある日「何者にもなれなかった自分」を自覚して
心砕かれ「もうダメだ、私」と思う時、
思う人って私以外にも大勢いると思うんですよ…
でも「今ここから」進む道を自分で決めればいいんですよね。
「今ここから、私は何でもできるし、何者にもなれる」わけですから。
周囲や世界に評価されなくとも
目指す自分像を見失わなければ
人生って光満ちるものなのかも。
自分の表現や自分の創造をどんな分野でもいいので
やり続けると結果「唯一の私=何者か」になれるかなぁ。
シャオヨンの様に純粋で高潔な魂の在り様で生きていきたいね。
あと、画面越しや写真ではなく
実物・本物を自分の目で見る、その場に行って見る
ことの重要性を再確認できました。