そういうことだったのかぁ…今、再視聴して
この映画が観客を含め全体が1つの「悪の証明実験」になってた事に気が付いた。
監督も脚本家もえげつないぜ~
この映画公開時はブラピのかっこよさと
「7つの大罪」という言葉が話題になっていた気がする。
あと、ラストの衝撃。
でも、この作品の本質はそこじゃなかったようだ。
映画 セブン~あらすじ
退職まであと一週間(7日間)となったベテラン刑事ウィリアム・サマセット
この街で日々起こる凄惨な事件、
身近で起こっている悪に対し無関心な人々、
彼はそんなこの街、この社会に失望感を抱いていた。
そんなサマセットの元に
血気盛んな新人刑事デビッド・ミルズが後任としてやってくる。
1週間バディとなった2人の前に奇妙な連続殺人犯が現れる。
現場に「7つの大罪」のメッセージを残し残忍な殺人を繰り返す犯人。
それはまるでサマセットとミルズへの挑戦状のようでもあった。
「GLUTTONY」(暴食)からはじまり
その罪に該当する者たちを次々に処刑していく犯人
ぶつかりながらも捜査をすすめ犯人に迫っていく
サマセットとミルズは7人目の犠牲者が出るまでに
犯人を止められるのか!?
※以下、ネタバレ含む感想・考察となります
◆「7つの大罪」の反対側にあるもの
この映画を久しぶりに再視聴した時、
私は「7つの大罪の逆にあるのは何だ?」という事が気になった。
- 暴食
- 強欲
- 怠惰
- 肉欲
- 高慢
- 嫉妬
- 憤怒
この罪を犯す時、人間は何かを失っているはず。
この逆にある「失ったもの」は何かと調べたら
「七元徳」というものが出てきた。
⇓
- 節制(⇔暴食)
- 分別(⇔強欲)
- 勤勉(⇔怠惰)
- 純潔(⇔肉欲・色欲)
- 忠義(⇔傲慢)
- 慈悲(⇔嫉妬)
- 寛容(⇔憤怒)
この映画を観てて、気が付いたのだが
我々は「他人の悪や罪には敏感だが、自分が失う美徳に対しては鈍感」なのだ。
人は常に「罪」の方を向いているのかもしれない。
それは自分たちが「悪の根を持っている」と自覚しているからこそ
「人間の悪」にばかり目を向けているってことだろう。
この映画で犯人が罪人とした被害者たちに対して
観客である「あなた」はどんな思いを抱いただろうか?
腸肥満のデブ、倫理を曲げ悪の味方をし富を得る弁護士、
前科者、娼婦、美人モデル…
犯人が彼らの「罪」を示した時、「あぁ確かにな」って想いを抱かなかっただろうか?
自分は悪の誘惑に負けないように必死なのに、彼らは…って思いなかった?
私はこの映画を観ながら「人の罪」もっと言えば
「他人の罪」ばかりに気をとられ
その人が罪を犯す時に失ってしまった「徳」の方にまったく気が付かなかった。
ってことは、同時に私もその徳を失っているってことなのだ(;;)
◆観客を含めた全体が「悪の証明」になっている映画
この映画の主要な人物3人
- 引退迫るベテラン刑事 ウィリアム・サマセット
- 血気盛んな新人刑事デビッド・ミルズ
- 犯人 ジョン・ドゥ(身元不明者の総称)
この3人は実は「同じ心情」を共有している。
人間がおかす悪、他人の悪に対してみて見ぬふりの人々、
腐敗していく倫理なき社会を酷く嘆いている。
その同じ思いに対する行動が違うだけの3人なのだ。
映画のラストシーンにおける3者による最後の審判においても
- 老刑事は「銃を置け(赦せ)」といい
- 犯人は「殺せ」と挑発し
- 2人の声を聞いた正義を信じるミルズは犯人を「殺した」
これが映画の物語内での「人間の悪の証明」になっている。
正義を信じるミルズが「自分の判断で人を殺していい」と殺人を容認してしまった。
これでミルズは自分から「私はジョンと同じ側の人間だ」と証明してしまった。
同時にジョンは「悪の証明」と「悪の種をミルズに植え付ける」ことに成功した。
人は他人事の悪は目をつぶれるが
自分が被害者となると、そう簡単に相手を「赦す」ことはできない。
神が説く「赦し」は怒りの感情に吹き飛ばされてしまうのだ。
そして、この映画の本当の「最後の審判」は観客に委ねられている。
”あなたは「犯人を殺したデビッド・ミルズ刑事の罪を赦せるか?」”
ここで観客である私やあなたが
「あの犯人は殺されて当然だ」、「ミルズ刑事の行動は理解できる」
「しょうがなかったんだ」とするならば
結局この世の正義も悪も感情論になってしまう。
でも多くの観客はミルズの罪を赦していたのではないだろうか(私予想)
神の裁きも、法の裁きも信じていないことになる。
これをもって、この映画は壮大な「悪の証明」にして
如何にこの世が「人間の欲と感情」に支配されているかを
見せつけているのかも。
◆ミルズ刑事が犯していた「罪」
どうしてミルズが7人目の罪人に選ばれたのか?
それは彼が刑事という生き方を選んだことで
「他人の悪ばかり見て、追っていた」ことで起きた
家族・妻への無関心にあったのではないでしょうか。
「無関心」は正しい表現じゃないな…
妻を愛していたし、妻を大事に思っていたんでしょうが
「妻の抱える不安」に向き合わなかったし
気づかないようにしていたんじゃないだろうか?
だから妻も妊娠したことを夫に言えなかったし
「この街で暮らしたくない」ってことも伝えられなかった。
サマセットには相談できたのにね。
正義の基準が「悪を追う俺」になっていたのかも。
実は先に上げた「7つの美徳」ってのは『7つの大罪』の対になっているもので
古代ギリシャ(哲学)から解かれている人間の7つの徳は
- 智恵
- 勇気
- 節制
- 正義
- 信仰
- 希望
- 愛
だそうです。1~4までが古代ギリシャの「4つの枢要徳」で
5~7はパウロの手紙からのモノだそうです。
この7つの徳に目を向けて生きる方が人間的で正しい感じしますな。
何に目を向けて生きるかで
見える世界、目の前の世界は変わってくるってのは
本当なのかもしれません。
今見ると、この映画の怖さがわかる。