プロ独女のライフハックブログ

40代プロ独女みつまるが恋愛・お金・美容健康・心のあらゆる面の不安や悩みを受け止めながらより良い幸せな独身人生を送るために学び・アウトプットするブログ

【映画】セブン~感想・考察:観客含めた全体が「悪の証明」になっている作品

セブン (字幕版)

そういうことだったのかぁ…今、再視聴して

この映画が観客を含め全体が1つの「悪の証明実験」になってた事に気が付いた。

 

 

監督も脚本家もえげつないぜ~

この映画公開時はブラピのかっこよさと

7つの大罪」という言葉が話題になっていた気がする。

あと、ラストの衝撃。

 

でも、この作品の本質はそこじゃなかったようだ。

 

 

 

映画 セブン~あらすじ

退職まであと一週間(7日間)となったベテラン刑事ウィリアム・サマセット

この街で日々起こる凄惨な事件、

身近で起こっている悪に対し無関心な人々、

彼はそんなこの街、この社会に失望感を抱いていた。

 

そんなサマセットの元に

血気盛んな新人刑事デビッド・ミルズが後任としてやってくる。

 

1週間バディとなった2人の前に奇妙な連続殺人犯が現れる。

現場に「7つの大罪」のメッセージを残し残忍な殺人を繰り返す犯人。

それはまるでサマセットとミルズへの挑戦状のようでもあった。

 

「GLUTTONY」(暴食)からはじまり

その罪に該当する者たちを次々に処刑していく犯人

 

ぶつかりながらも捜査をすすめ犯人に迫っていく

サマセットとミルズは7人目の犠牲者が出るまでに

犯人を止められるのか!?

 

※以下、ネタバレ含む感想・考察となります

 

◆「7つの大罪」の反対側にあるもの

この映画を久しぶりに再視聴した時、

私は「7つの大罪の逆にあるのは何だ?」という事が気になった。

 

この映画で示されるキリスト教の「7つの大罪

  1. 暴食
  2. 強欲
  3. 怠惰
  4. 肉欲
  5. 高慢
  6. 嫉妬
  7. 憤怒

この罪を犯す時、人間は何かを失っているはず。

この逆にある「失ったもの」は何かと調べたら

「七元徳」というものが出てきた。

  1. 節制(⇔暴食)
  2. 分別(⇔強欲)
  3. 勤勉(⇔怠惰)
  4. 純潔(⇔肉欲・色欲)
  5. 忠義(⇔傲慢)
  6. 慈悲(⇔嫉妬)
  7. 寛容(⇔憤怒)

この映画を観てて、気が付いたのだが

我々は「他人の悪や罪には敏感だが、自分が失う美徳に対しては鈍感」なのだ。

 

人は常に「罪」の方を向いているのかもしれない。

それは自分たちが「悪の根を持っている」と自覚しているからこそ

「人間の悪」にばかり目を向けているってことだろう。

 

この映画で犯人が罪人とした被害者たちに対して

観客である「あなた」はどんな思いを抱いただろうか?

 

腸肥満のデブ、倫理を曲げ悪の味方をし富を得る弁護士、

前科者、娼婦、美人モデル…

犯人が彼らの「罪」を示した時、「あぁ確かにな」って想いを抱かなかっただろうか?

自分は悪の誘惑に負けないように必死なのに、彼らは…って思いなかった?

 

私はこの映画を観ながら「人の罪」もっと言えば

「他人の罪」ばかりに気をとられ

その人が罪を犯す時に失ってしまった「徳」の方にまったく気が付かなかった。

ってことは、同時に私もその徳を失っているってことなのだ(;;)

 

◆観客を含めた全体が「悪の証明」になっている映画

この映画の主要な人物3人

  • 引退迫るベテラン刑事 ウィリアム・サマセット
  • 血気盛んな新人刑事デビッド・ミルズ
  • 犯人 ジョン・ドゥ(身元不明者の総称)

この3人は実は「同じ心情」を共有している。

人間がおかす悪、他人の悪に対してみて見ぬふりの人々、

腐敗していく倫理なき社会を酷く嘆いている。

 

その同じ思いに対する行動が違うだけの3人なのだ。

映画のラストシーンにおける3者による最後の審判においても

  • 老刑事は「銃を置け(赦せ)」といい
  • 犯人は「殺せ」と挑発し
  • 2人の声を聞いた正義を信じるミルズは犯人を「殺した」

これが映画の物語内での「人間の悪の証明」になっている。

正義を信じるミルズが「自分の判断で人を殺していい」と殺人を容認してしまった。

これでミルズは自分から「私はジョンと同じ側の人間だ」と証明してしまった。

同時にジョンは「悪の証明」と「悪の種をミルズに植え付ける」ことに成功した。

 

人は他人事の悪は目をつぶれるが

自分が被害者となると、そう簡単に相手を「赦す」ことはできない。

神が説く「赦し」は怒りの感情に吹き飛ばされてしまうのだ。

 

そして、この映画の本当の「最後の審判」は観客に委ねられている。

”あなたは「犯人を殺したデビッド・ミルズ刑事の罪を赦せるか?」”

 

ここで観客である私やあなたが

「あの犯人は殺されて当然だ」、「ミルズ刑事の行動は理解できる」

「しょうがなかったんだ」とするならば

結局この世の正義も悪も感情論になってしまう。

でも多くの観客はミルズの罪を赦していたのではないだろうか(私予想)

 

神の裁きも、法の裁きも信じていないことになる。

 

これをもって、この映画は壮大な「悪の証明」にして

如何にこの世が「人間の欲と感情」に支配されているかを

見せつけているのかも。

 

◆ミルズ刑事が犯していた「罪」

どうしてミルズが7人目の罪人に選ばれたのか?

それは彼が刑事という生き方を選んだことで

「他人の悪ばかり見て、追っていた」ことで起きた

家族・妻への無関心にあったのではないでしょうか。

 

「無関心」は正しい表現じゃないな…

妻を愛していたし、妻を大事に思っていたんでしょうが

「妻の抱える不安」に向き合わなかったし

気づかないようにしていたんじゃないだろうか?

 

だから妻も妊娠したことを夫に言えなかったし

「この街で暮らしたくない」ってことも伝えられなかった。

サマセットには相談できたのにね。

 

正義の基準が「悪を追う俺」になっていたのかも。

実は先に上げた「7つの美徳」ってのは『7つの大罪』の対になっているもので

古代ギリシャ(哲学)から解かれている人間の7つの徳は

  1. 智恵
  2. 勇気
  3. 節制
  4. 正義
  5. 信仰
  6. 希望

だそうです。1~4までが古代ギリシャの「4つの枢要徳」で

5~7はパウロの手紙からのモノだそうです。

この7つの徳に目を向けて生きる方が人間的で正しい感じしますな。

 

何に目を向けて生きるかで

見える世界、目の前の世界は変わってくるってのは

本当なのかもしれません。

 

今見ると、この映画の怖さがわかる。

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ おひとりさまへ
にほんブログ村