古代日本の智恵~縄文の図形の素粒子やカタカムナの「カ・ヒ・ミ・イ」をより深く理解できるようになるために「ハジマリ」を探る量子論への寄り道中
ミクロの物質の不思議な動き
そこにある摩訶不思議な法則性に挑むのが「量子論」らしい。
現代物理学の二大柱の1つを成す「量子論」が示すモノに
私も挑んでみるよ~
まずは「ミクロ」と「マクロ」の世界の境界線を見ておこう。
ちなみに、量子論の旅に私を導いてくれたのはこちらの本です。
こちらの佐藤先生によると
- ミクロの世界⇒1mmの1000万分の1より小さな世界
- マクロの世界⇒ミクロよりも大きな世界
こんな解釈でOKらしい。
もっとざっくりいうと、「ミクロ=原子よりも小さな世界」だって。
これのがイメージしやすいよね(^^ホッ
超古代日本人(仮)カタカムナ人が、
この現象界の生命・現象・万物の「ハジマリ」を探ったように
現代人も同じように生命・現象を成している「ハジマリ=素」を追っている。
そうして、原子・原子核を構成するモノを更に追っていったら
なんと「ミクロの世界」では、
これまでの物理法則と違った動きが見られる…とわかったというのです。
そこで「ミクロの世界」の法則性を探るための研究が進み
これからミクロの物質が示す
我々マクロ界の物理法則では計れない動き・運動法則を
見ていくんですが、私はここで既にある疑念を抱いております。
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我われを成している大元は「ミクロの物質」で
私もマクロ界の生命・現象もすべては「ミクロの物質の集まり・塊」なんだから
ミクロとマクロで物理法則が異なるのはおかしくねぇか?
私としては、「私」にもミクロ界の法則がそのままに働いているはず、と思うのです。
マクロで見た「私」があまりにもギュギュっと凝り固まっているため
そのミクロ動きが外まで影響してこないだけで
私の内側ではミクロの動き・作用が暴れまくっているんじゃねぇか!?と。
まさに「カ・ヒ・ミ⇒イ⇒イカツミ」のように
キレイに繋がり流れているんじゃないかなぁと。
マクロでみた「私」は日本神話の天地開闢でいうところの
「下へと分かれていった重く濁った塊」にあたるのでしょうか(^^;ヒエッ
とにかく、私は”ミクロの響きはマクロにも大きく響いている”という思いを
強く抱きながら「量子論」への寄り道を進んで行きたいと思います。
(つづく)