「なんだかわからないけど、そうなってる」ことで世の中溢れている。
「なんだかわらからんけど、そうなっている」の
「なんだかわからないけど…」の部分を置き去りにして~
「~けど、そうなっている」の部分の「そうなってる」辻褄合う説明が見つかったら、その先へみんな進んでいってしまうのさ~
無知な私に量子論の世界を優しく案内してくれる一冊
『科学』は実際の現象を取り扱うものなので
「現象として現れない、誰も見ることができない」部分は議論できないから
「そうなのだろう」と現象と辻褄あう(計算が合う)解釈ができればOKなんだってよ~これが「科学の目」かぁ
さて、現代科学の智恵の蓄積・発展の中にある「科学者たちの思考」を覗いてきましたがここで ようやく「コペンハーゲン解釈」までたどり着いたので、ここまでのことをサクッと振り返りつつ、まとめてみていきましょう。
①(電子の)波の収縮
※誰にも見られていない時は、電子の波は広がっている
⇓
それが「我々が電子を観測しようと見つめた途端に」
ギュン!と一点に凝縮して現れる(発見される)
という解釈と
+
②確率解釈
この時”電子は重ね合わせの状態にある”とみなされ
1個の電子が
- aにいる状態
- bにいる状態
- dにいる状態
が、同一電子の中で重なり合って共存していると見なされ、
「電子の波がどの位置に収縮するか」=「観測によってどこで電子(粒子)が発見されるか」は確率的に決まる⇒波動関数Ψの絶対値の二乗に比例する(波動関数の確率解釈)
この①②を二本柱として
- 私たちにみられる前の電子と
- 私たちに見られた後の電子の様子を
理解しようとする「この解釈方法」をコペンハーゲン理論って呼ぶんだよ~
この解釈を提唱したボーアたちの研究所がコペンハーゲンにあるからね~
このコペンハーゲン解釈が、現在でも量子論の大事な柱になっているつーわけやな。
これまでの流れをみると
①『原子の中の電子の軌道半径がとびとびの値に限られる』というボーアの量子条件の根拠を示すためにド・ブロイは電子を波であると考えて、その波長を求めた。
②シュレーディンガーは電子の波を表すシュレーディンガー方程式を導き電子の「とびとび」のエネルギー状態などの説明に成功した
⇓
③だが、しかし! シュレーディンガー方程式が示す「波動関数Ψ」=複素数の波⇒電子の波の正体は不明のまま
④そこで、ボルンは波動関数Ψそのものが何を表すかを考えず(置いといて)
『波動関数Ψの絶対値の二乗が電子をその場所に発見する確立に比例する』というΨの意味を見出した=「波動関数の確率解釈」
⑤ここまでのことを踏まえて、ボーアたちによる「コペンハーゲン解釈」が生み出され、1920年代に我々人類は「原子の中の電子が示す不思議な現象」を説明できる理論(解釈)を手にしたのです。
だいぶ、「?」ボックス残したままな感じやけど~
カム界の影響・関わり・干渉バッサリ切り捨ててる感あるけど~
でも「まったくわからん」⇒「こういった仕組だろう」までは達したよね。
その結果、何が明らかにされたかっていうと
電子などの超極微のミクロの世界の物質は我々が知る物理法則とは
まったく違うルールに支配されているってこと。
ミクロの世界の物理法則・法則性を探す「量子物理学」の世界がドカーンと扉を開けたのだ。
カタカムナやオアスペとかトート(エメラルド板)などの古代の智恵と
だいぶ違う方向へ進んでいる気がしなくもないが
それでも真理には近づいてきた感あるね~
科学の目は「現象を見つめる」が、古代の智は「すべては根源・潜象から始まる」っていってる。潜象の力>現象の力 ともいってるよね。
「電子がどこに現れるか」を実際に決定してるモノは何なんでしょう?
神が振るサイコロなのか、電子そのもの意志(アメ)なのか、それとも電子に作用する他者の「中性子(意識)」と「陽子(意志)」の結合である原子核なのか?
本当にミクロの世界の法則とマクロの世界の法則は違うのか?
すべての物質・物体・存在は原子から成っているんだから電子にみるマクロの性質も秘めているわけですよね?
(つづく)