では、続きへ
古代日本の智の探求にはまっている私です。
縄文の智恵(縄文の数学・幾何学・測量術)などに触れ、日本語のヒビキの神秘構造に感銘を受け、今は「古事記」に秘められし智の探求に励んでおります。
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次に左の手に成れる神の名は志芸山津見神。
次に右の手に成れる神の名は羽山津見神。
(「古事記」より)
ヒダリ(先)⇒ミギ(後)という順番も大事。
「ヒダリの手」から⇒志芸山津見神(しぎやまつみ神)
「ミギの手」から⇒羽山津見神(はやまつみ神)
左と右とでは「組」でも「対」でもなく、
まったく別の神霊力が発生しているわけですな。
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そう、私は左手・右手其々から「特別な力」が発生(発信・放出)されているとにらんでおります。
では、「左手」から成った「志芸山津見神」が何を示す神なのかを読み解いてまいりましょう。
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「左=ひだり=ヒタリ」
つまり「ヒ(アマ始源)」が「足り(る)」、「ヒ」が充分に足りる=「ヒ」湧き満ちるのが「左」で、その左の手(掌・タナ)から湧き出ているのが「志を芸にする強い気」なのです。
私の解読によると、「キ<ギ」と濁点がつく音の方がそのヒビキの力が強まる。
故に「強い力」としました。
「志」が立った時、その志を成し遂げるためのエネルギーと力が「ヒ」から錬成され左手から発生する、ということかと。
心が目指す方向を決めたら、こんなに凄いことがおきているんですな。
更に「しぎ」のヒビキと「芸」の漢字が示す意味にこんな意味も
「しぎ」=茂る・重なる
ってことはですよ、(地下・虚界⇒地上の)「山」からは左渦のイヤシロの気が湧きたち発生しているってことじゃないか、と。
心・志を種に、その種を蒔き、若木を育て育む「イヤシロの気」が山から湧き出ている! そのイヤシロの気が持つ「生成化育の力」は造化の繁栄の法則がウツシされたもののようですな。
(つづく)